私は「レイシスト」です―「朝鮮人を見下すな」さんのコメントへの応答

京都朝鮮学校第一初級学校へ「在特会」が押し寄せてきた件についての「私の「怒り」とは?」というエントリーへ、2009年12月22日にいただいた「朝鮮人を見下す」さんのコメントについてレスポンスできずに、現在にまで至っておりました。申し訳ありません。ブログに記事を書き、コメントをいただいた以上、私には応答責任があります。しかし、正直なところを申しますと、それらの問いかけに向き合う準備ができていませんでした。冷静にお応えできるか分かりませんでした。その気力に欠けていたとも思います。

スルーという手段もあったかもしれません。精神的にきつくて、そのように対応しようと思った時期もありました。しかし、投げかけられた言葉に、受け止めなければならない批判もありました。これだけの時間が経過してしまって申し訳なく思いますが、少し時間も経ち、客観的にとは言わないまでも、対話のテーブルにつくための前段階としてのお話ができるかなと思います。

朝鮮人を見下すな」さんのコメントは、かなり多義に渡っており、論点を整理することがやや難しかったもので、文章を追って見ていきたいと思います。


1.自分自身のアイデンティティの為に朝鮮人を利用していることについて

そもそも自分は被害者根性でいながら判り合いましょうと言うのが無理な話ですよ。貴方も京都に多いとされる左翼と同様なだけじゃないですか?自身のアイデンティティの為に朝鮮人を利用するな。


文脈からして、被害者根性であるのは、私ですよね。「被害者根性」=「京都左翼」というイメージが、私にとって新しい発想でした。私もどちらかと言えば「左翼」でしょうし、「左翼」のレッテルをいつでも引き受けます。「左翼」にも「京都左翼」にもいろいろいると思うのですが、ただ確かにご指摘の通り、自身のアイデンティティの為に被害者を利用する運動というのは、少なからず存在すると思います。どのあたりでそう思われたのか具体的に聞いてみたいところですが、どちらにしろこれは真正面から受け止めるべき批判でしょう。

おそらく多くの「左翼」が、このような批判を正直に認め受け止めることができなかったことこそ、運動の後退につながっていったと思います。断定はできませんが、現在もそういう体質はあるのではないでしょうか。

自分自身の経験、在日朝鮮人との出会いから運動に携わるまでの葛藤を思い返してみました。加害者としての「日本人」を、突き付けられた時のなんとも言えない喪失感。私は、それまで「日本人」であることを意識して生活してこなかったし、できてきたわけなので、言われもない罪を被せられた感覚に等しかったです。しかし、そう振る舞える立場こそ「加害者」なのだ、と思うようになり、自分なりの行動に出ていくことになります。

最初、自分が、「日本人」であることを本当に嫌悪しました。他者を踏みつける「日本人」であることから、逃げたかった。「朝鮮人」になりたいとまで思いました。しかし、それも在日朝鮮人学生の運動に出会ったとき、簡単に崩れていきました。紛れもなく「日本」という国家の成員として責任を付与されているわけだから、ナショナリズムではない形で、「日本人」という主体を立ち上げ、彼/彼女らの声に応えていく必要があると。

このような「日本人」という責任主体を立ち上げるまでの過程は、まさに在日朝鮮人を利用していたと言わざるを得ないでしょう。私の中の「日本人」を否定しようとし、そして同時に責任を果たそうとする姿勢は、評価されましたし求められてきました。もちろん、厳しい批判にも晒されたともあるし、不十分極まりないものではありましたが。しかし、こうして私は、在日朝鮮人の仲間たちに、癒されてきてしまったのです。彼・彼女たちが声を発さなければ、そうやって当事者が常に身を削ってこなければ、私は何の主体も持ち得なかったのです。それは本当に情けないことです。


2.学校の状況について

教職者のくせに校庭のある学校も用意しないで都合のいい時だけ甘えておいてルールは無視ですか?ルールが無くなったら秩序なんて無いんですよ。貴方が言うような過去の責任はルールがあってこそです。学校側は生徒が怯えたとか言う前にそれを防ぐべく行動を起こしたんですか?被害者ずらだけして自分に責任は無いとでも?学校側は親に伝えていなかったのか?知っていたなら親はそんな事態を見過ごして子供を学校に送ったのか?危機管理能力が低すぎます。学校の思惑が見え見えですよ。
財政力と言いますが、グラウンドも借りれない組織が民族繁栄の為に学校を作ろうと言うのが独善的で子供のことなんて考えてないじゃないですか。東京の一等地の未払いで問題になった朝鮮学校だってそうでしょ。本当に子供のことを考えるなら朝鮮学校を統合でもして郊外かもっと外の安い土地でやり繰りすればいいんですよ。子供の為を思うと言うのはそういうことです。(もっと言えばナショナリズムを高揚させる為に作る民族学校なんていりません、ウルトラナショナリズムは友好(笑)の邪魔でしょ?)努力もせずに過去の歴史を穿り返して日本が悪い、何とかしろで済まそうとする根性とそれを支える自称人権派の日本人のせいで今にいたっているんじゃないですか?親玉の総連には朝鮮の国会議員がいるんだから民主主義の国らしく御国から在日にもっと資金を流してもらえば良いじゃないですか。


この点に関しては、問いかける主体が入り混じっているので、どうお応えすればいいか迷うところです。まず、学校の状況から言えば、京都朝鮮第一初級学校の形成史と公園使用をめぐる背景を、私が詳細に記述していなかったので、誤解を招いてしまったと思います。公園使用のルールに関しては、すでに数十年も前から、地域の人たちとの話し合いで定められていましたし、行政も認めているところです。なぜ校庭のない校舎になったのか、という具体的なやり取りまでは分かりませんが、解放後から現在に至るまで、学校・保護者・地域同胞が力を合わせて、自分たちの手で学校を支えてこられています。僅かな資金の中で、校舎がなくても民族教育をという思いでやってきただろうと、想像に難くありません。

さらに、「在特会」が日時を指定せずに、忠告だけを言い残しました。いつやってくるか分からない中で、学校関係者は、警備の強化などを要請するなど対策を練っていました。二度目の襲撃でも、子どもに二度とあんな思いをさせたくないという保護者や学校関係者の緊張を、胸がつまる思いで感じてきました。

このような被害を受けて、保護者の方々の思いもそれぞれだと思います。こういうことが起きて、学校に通わせるのは当然不安でしょう。でも、それに屈せずに、通わせるんだという強い意志を持つ保護者もいらっしゃいます。そのような保護者の姿に、私たちの姿勢が問われる思いがしました。

話は少しズレますが、「子どもために」というのは、一体何なのか…ということはあるかもしれません。「子どものために」と言いながら、実際は大人の都合で決めている、ということが常です。だから、そのように批判されることも分からなくもないですが、校庭が必要だということも大人が前提とした言説だなと思うのです。実際、校庭がなくても、本当に楽しく学校生活を送る子どもたちがいます。それは、校庭が必要ないということを言いたいわけじゃなく、子どもたちの主体を尊重することが大事だということです。

「自称人権派の日本人のせいで」というくだりに関しては、相変わらず何も変えられていないという点で、「自称人権派の日本人」の責任は大きいと思います。もっともっと何か出来たのではないかと悔いるばかりです…。

ちなみに、「学校の思惑」というものが、何を想定されているのか、よく分かりませんでした。


3.日本の学校に在籍する在日朝鮮人と植民地支配責任とナショナリズム

私の友達に「元」在日朝鮮人がいますが民族学校より公立学校に来ておいて良かったと言っています。かと言って改名もしていませんし彼が民族的朝鮮人であることに変わりありませんし、彼の家に行ってもそれを感じます。どうせ日本人の中に入ったらイジメられるから無理と言うのでしょうが、イジメは朝鮮人じゃなくてもあるでしょ。というより私の友人は仲良くやってましたよ、適応出来ないとか決め付けるのは日本社会への差別と朝鮮ナショナリズムのエゴですよ。第一、過去といっても60年も前ですよ?既に3〜4世代目に入っているのに何時までも甘やかして何が共存ですか?国に認められていない学校で学んで就職が厳しいとか、単に民族団結の誇りとやらのナショナリズムで負の連鎖を続けているだけじゃないですか。日本のナショナリズムは駄目なのに朝鮮ならいいんですか?努力している朝鮮人だっているのに一部朝鮮人と自称人権派の日本人せいで彼ら家族まで同類扱いされるんですよ。


今や在日朝鮮人も多様化していますし、さまざまな生き方をされていると思います。民族学校の必要性を強調すればするほど、すでに日本の学校に在籍している在日朝鮮人、ダブルの子どもなどが追いやられかねないと思います。1970年代までの運動が、まさにそうでした。日本の学校に在籍している在日朝鮮人は、民族学校に行くように促してきました。しかし、実際は、日本の学校に行かざるを得ない状況もあるし、目の前の生徒と向き合わないのかという批判が出るようになりました。結局、排他的な日本の本質は変わっていなかったと言えます。そういう意味では、民族運動に接するとき、そのあたりの問題をちゃんと視野に入れておかなければと思います。

ただ、今度は、包摂という問題をどう考えるのかと揺れ動きます。そこで、始まったのが日本の学校での民族学級の取り組みであったり、日本人教師たちの歴史教育や民族名運動です。これにもいろいろと考えるところがありますが、それらの運動の成果も一定の評価はされるべきです。日本の学校では、ルーツである朝鮮に触れる機会なんてほとんどないというだけでなく、「日本人」だけを育てる国民教育/同化教育にさせないためにも、朝鮮語、朝鮮文化、朝鮮史を学ぶ機会があることは在日朝鮮人だけでなく日本人にも必要なことだと思います。

さらに言えば、私は、60年前のことを「過去」として切り捨ててしまってはいけないと思っています。「過去」であるどころか、歴然と植民地支配は継続していると感じています。排外主義的な構造は存在していますし、物理的な差別は繰り返し起こっています。民族団結を強いているのは、日本社会の状況に規定されているからではないでしょうか。そこを見誤ってはいけないと思います。抵抗は、抵抗する相手がいるから抵抗するのです。「過去」としてしまうことで、未だ果たされていない植民地支配責任を曖昧にしてしまってはいけないと思います。

そして、60年経っても、民族的なものに触れて感動する在日の若者がいるということも事実です。その事実が、変わらない日本社会の状況を物語っていると思います。日常生活も生きにくさが、常に孕んでいることを思い知らされます。しかし、ご指摘のように、「努力している朝鮮人」のことを矮小化するということではありません。確かに、在日朝鮮人をいつでも従属的な主体としてみることは、差別的であると思います。生きにくい状況の中で、主体的に逞しく生きようとしている在日朝鮮人の姿もみなくてはなりません。ただ、当事者が努力してようがしまいが、私自身の責任は揺るぎません。

「日本のナショナリズムは駄目なのに朝鮮ならいいんですか?」という点に関しては、正直難しい質問ではあります。今の私のポジションからは、「イエス」としか答えるしかないと思います。ナショナリズムは、断固拒否する気持ちでいますが、そのナショナリズムの在り方が果たして対等足り得ているのだろうかと思うのです。つまり、ナショナリズムを生み出した文脈が全く違うからです。日本のナショナリズムの抵抗としてのナショナリズムを、自分のことを棚に上げて批判できるのでしょうか。だから、まず私は日本のナショナリズムを徹底的に批判します。逆説的に言えば、朝鮮ナショナリズムを批判して、自分たちの責任を免除するようなことはしたくありません。


4.私は「レイシスト

ちなみに私は過去日本が悪くないとは言いませんし、在特会を支持する気なんてありません。勝手に怒って挙句の果てには在特会ではなく我々日本を侮蔑したレイシスト朝鮮右翼の勘違い共と日本でも何でも分断しといてください。私は差別ばかりする両者に怒りを覚えます。そして彼らのナショナリズを都合よく解釈する貴方にも怒りを感じます。
まぁ私の意見をどう思うか知れませんが、少なくとも私は貴方方より対等な「対等な!」友好関係ではなく友人関係を朝鮮人と築けています。kiimikiさんは優越感に浸って努力してきた私の友人達を見下しているんですよ、ふざけるなレイシスト、以上。


ちょうどコメントくださった記事のタイトルが、「私の「怒り」とは?」でした。私は自分自身の「怒り」について、ちゃんと向き合わなければと思い、あの記事を書きました。「在特会」とは違うんだということを表明するために、「怒る」私。それはただの責任回避に過ぎないのであったと実感しました。

朝鮮人を見下すな」さん、あなたの「怒り」も、何のためですか?

そして、認めます。私は、「レイシスト」です。自分は、差別をしている、差別をするかもしれない、というところから出発しなければならないと思っています。決して「差別をしていない」とは言えない。そういう社会にいることを自覚しなければならないと。