「ウォリアーの心得」

最近、体調も崩し落ち込んでいたので、ブログの更新もご無沙汰してしまった。すごく暗かったので、音楽の話でもしようと思う。

私は、極めるまで何かに打ち込んだという経験が少ないので、どれも中途半端で何も語る資格はない。音楽も気まぐれに聴くぐらいだ。しかし、最近ふと思い出したアーティストがいた。改めてヘビロテで聴いている。こんな落ち込んでいるときに、力をくれた。語るほどの知識は持ち合わせていないが、超個人的に書き留めておきたい気分。音楽に精通している人からすれば、ド素人の知ったかぶりであるが、以下、思い出話程度に読んでいただければ幸いである。


昔からR&Bが好きだった。男性も女性も聴いていたが、やはり圧倒的に女性。私が最も良く聴いていた時代は、2001年〜2003年くらいだったと思う。HIPHOPとのコラボレーションが大流行していた。私もその流行に踊らされて、よく聴いていたし、いまだ色褪せない曲も多いと感じている。コラボを通じて好きになった女性シンガーも多い。

アメリカの音楽シーンにおいて、HIPHOPは強力な地位を確立していた。その大半は、男性ラッパーが占めていたといえる。女性ラッパーは圧倒的に少なかった。R&Bの地位が低いというわけではなくて、必然的にR&Bに女性シンガーが集中していた。それゆえか、フューチャーする際、女性シンガーの存在は副次的な印象が強かった。言葉は悪いが、男性ラッパーの添え物でしかなかった。その上、典型的な異性愛を歌われることが普通だったろう。

たとえば、鮮明に覚えているのは、Ashantiだ。彼女は、Ja Ruleとのコラボ曲「Always On Time」(2001年)で大ヒットし、その名を世界中に知らしめた。とってもキュートで彼女の活躍を追っかけていたが、2枚目のアルバムは残念ながら期待以上のものではなかった。いや、思い返すと、あの曲もひどいものだった。“私はあなたのもの、あなたが電話するときは常にそこにいるわよ”的な男性に従属的な女性像を歌っていた。どちらにしろ女性R&Bシンガーに、使い捨てのイメージが焼きついた。今思えば、これは、新人やソロ進出する女性シンガーにとって登竜門的な役割を果たしていたのかもしれない。

音楽業界のあれこれを詳しく知らないが、女性が生き残っていくのは大変だったと思う。それ以前は、グループで売り出す傾向があったように思う。TLCとかDestiny's Childとか。彼女たちも素晴らしかった。女性グループならではのパワーがあった。Destiny's Childの「Survivor」(2001年)は、今でも思い出してよく聴く。友人に教えてもらったライブ動画の、アフリカ女性を意識したコンセプトに感銘を受けた。

「Destiny's Child - Survivor live in Rotterdam 2002」


しかしだ、そんな彼女たちでさえ、ソロで売り出す際、男性ラッパーとのコラボだったのだ。Kelly Rowlandは、Nelly と「Dilemma」(2002年)。好きだったけど。Beyonceは、現パートナーのJay-zと(2003年)。どちらの曲も大好きだったのだし、流行があったわけなので、悪いとは思わないのだけど、なんだか釈然としない。

そんな中、数は少ないが、女性ラッパーも登場している。私は、Missy ElliottやEveをよく聴いていた。ラップにうとい私でも、彼女たちはかっこいいと思った。実力もあったし、何よりも男性に媚びない態度に惹かれた。両者とも女性R&Bシンガーとよくコラボしていた。中でも、今ぱっと思いつく限りでお気に入りだったのが、Missy ElliottBeyonce(ほか)の「Fighting temptation」(2003年)、EveとAlicia keysの「Gngsta lovin」(2002年)である。当時は意識していなかったが、やはり男性ラッパーとのコラボとは違う感覚で聴いていた。コラボの意味合いが全く異なった。英語が苦手なので、歌詞の意味をちゃんと理解していたわけではなかったが、女性の主体性や女性同士の力強さを無意識に感じとっていた。

かつてはよく聴いていた男性ラッパーと女性シンガーのコラボ曲を、また聴こうとは思わなくなった。あの頃は10代後半だった。男性ラッパーのお飾り的な女性シンガーの立ち位置を何気なく内面化していた。あれから女性としていろんな不条理さを味わった。すんなりとそれらの曲に適応することができなくなった。そのことをあまり深く考えたことがなかったが、安直に言ってしまえば、私の中のフェミニズムが覚醒したからではないかと思う。ほんとに安直だが。

今は、若いときほど、いろいろ発掘してまで音楽を聴く余裕がない。しかし、継続して聴いているアーティストはいる。Alicia は、根強い。彼女は、女性をエンパワーメントするような曲を意識的に創っているようだし。上述しなかったが、Macy Grayも大好き。Macyも私の中では別格だ。

ところで話は脱線するが、最近はよくロックとかポップも聴くようになった。Lady Gagaの影響だ。私は彼女の熱狂的なファンである。彼女の出現は、衝撃的であった。強烈な個性とクオリティの高さは、天才としか言いようがない。しかも、パフォーマンスが、かなりクィア度が高いところがポイントである。

Gagaは、Beyonceなどの女性シンガーとコラボしている。ラップ+歌という定式が、すっかり解体してしまったかのようだ。Beyonceが参加した「Telephone」なんか、あのビヨンセGaga色に染まってしまった。女性同士の結託あるいはホモソーシャリティともいうべきか(個人的にはもはや“やおい”だが)、Gagaは女性アーティストの新時代を切り拓いたと言っても過言ではない(と思いたい)。彼女自身、バイセクシュアルを公言していることも無関係ではないだろう。


前置きが長くなってしまった。さて、最近思い出したというアーティストのことだ(何のことか忘れた人は冒頭に戻ってね)。

私が、コラボ曲の流行に踊らされていたとき、かなり異彩を放っていた女性シンガーがいた。Erykah Baduである。1997年に発売されたファーストアルバム『Baduizm』を取り寄せてよく聴いていた。そのことをふと思い出して、他のアルバムを借りてみた。改めて聴いてみると、あの頃の流行の曲調に流されない、研ぎ澄まされたソウルフルな音が脈打っていた。

ファーストでは、「Next life time」という曲が印象的である。一見普通のラブソングっぽいのであるが、PVの演出でよりメッセージ性を強調している。PVの最初、1637年、アフリカのどこかの地。生まれ変わって、1968年、ヨーロッパ。「アフリカの年」と言われた1960年代、おそらく地下活動的にやっていた独立闘争を描いているのではないだろうか。そして、3000年代、未来へ。

Erykah Badu - Next life time」


セカンドアルバムの『Mama’s Gun』(2001年)を発売するまで、彼女は子どもを産んで育て、シングルーマザーとなっていた。このセカンドアルバムには、「The warriors reminder(ウォリアーの心得)」という詩が記されている。この詩の精神にあるように、彼女の闘いがこのアルバムに具現化されている。「Didn’t Cha Know」や「My life」は、黒人差別を歌っているようにも思うし、「Booty」は、自分がお金を持っていなくて、働かなくていいと言われても「あんな男は要らないわ」という曲。「…& on」は、ファーストの「on&on」の続編で、この歌詞がとても深い。

but everybody wanna ask me
why
what good do your words do
if they can’t understand you
don’t go talkin’ that  badu


だが誰もが聞きたがる
何故
何 言葉通りのことをすればいい
もし彼らがあなたを理解できないのなら
そんなことを話す必要はないのだ バドウ


※『Mama’s Gun』(2001年)の歌詞カードから引用


次のアルバム『worldwide underground』(2003年)。「the grind」が、シングルマザーや労働について歌っている。「think twice」では、自らを犠牲にしてまで結婚(?)をする必要はないという曲。「Love of my life worldwide」では、Queen LatifahAngie Stone、Bahamadiaの4人の女性でのリミックス。ラップも入っていてかっこいい。勝負している感じがする。同じタイトルで、かつての恋人だったCommonとフューチャーしているが、対等な関係性が歌われていて、こちらも共感するし安心して聴くことができる。

2008年には『New Amerykah, Pt. 1: 4th World War』が発売され、もうすぐ『New Amerykah Part Two: Return of the Ankh』が出る。一部しか聴いていないが、着実にパワーアップしている。

Erykahは「女性」というジェンダーを売り物にしたり、性差を利用することから離れていると評価されている。確かに、男性とのコラボで異性愛を表現しても居心地の悪さを感じさせないし、むしろ常に彼女は闘っている。当時、HIPHOPは、セックスや金のことばかり歌ってきたと言われているが、他方で彼女は人種・階級・ジェンダーなど錯綜した状況に置かれる黒人女性の姿を意識的に歌ってきたし、彼女自身が体現しているものすべてをそのソウルに注ぎ込んできたのではないか。

いわゆるブラックミュージックを「消費」していたあの頃。「無知」や「無関心」と居た堪れない「無垢さ」から、ようやく「気づき」を得た今、Erykahにようやく出会い直すことができた。もっと早くに出会っていればとも思うが、これほどの時を私は必要とした。また数年後、どのような出会い方ができるだろうか。

最後に、「the warriors reminder(ウォリアーの心得)」を転載する。トイレにでも貼り付けて、毎朝チェックして家を出たいくらい。

「the warriors reminder(ウォリアーの心得)」


i am awake(私は覚醒している)
my mind is free(私の心は自由だ)
i am creative(私は創造的だ)
i love myself(私は自分自身を愛する)
my willpower is strong(私の意志は強い)
i am brave (私は勇敢だ)
i practice patience(私は辛抱する)
i don’t judge folks(私は人を裁かない)
i give, not to receive(私は与える、受け取るのではなく)
i don’t expect(私は期待しない)
i accept(私は受け入れる)
i listen more than I talk(私は話すよりも耳を傾ける)
i know I’ll change(私は自分が変化することを知っている)
i know you’ll change(私はあなたが変化することを知っている)
i’ll hold on one more day(私はもう一日我慢する)
i start over when necessary(私は必要ならば一からやり直す)
i create my own situations(私は自分で状況を創りだす)
i am cosmic(私は宇宙のように広大である)
i do not have the answers(私は答を持たない)
i desire to learn(私は学ぶことを切望する)
i am the plan(私がプランである)
i am strong(私は強い)
i am weak (私は弱い)
i want to grow(私は成長することを望む)
i know I will(私は成長することを知っている)
i take on responsibility(私は責任をとる)
i hide myself from no one(私は誰からも隠れない)
i’m on my path(私は自分の道を歩む)
warriors walk alone(ウォリアーは独りで歩く)
i won’t let my focus change(私は焦点をずらさない)
taking out the demons in my range(心に巣食う悪魔と闘いながら)
that’s mama’s gun(それこそがmama’s gun)


E.Badu


※『Mama’s Gun』(2001年)の歌詞カードから引用