twitterの再開

またまたご無沙汰しております。
前回といっても半年以上も前の3月の記事で、震災の報道を受けて停滞していたブログを一時的に更新して以来です。
その際に、以下のような前置きをさせていただきました。

本ブログは、長らく更新を停滞しておりました。にもかかわらず、その間も多くの人が閲覧してくださっていることを、胸が熱くなる思いで時折確認していました。自分自身の体調の悪化が多くの関係者にご迷惑をおかけしたことで、しばらくの休養をとろうと考えました。といっても、完全に休養できるような環境がなかなか創れずに、揺れ戻しが続くばかりでした。それに伴って、twitterをはじめとした不特定多数にオープンに発信できる情報媒体を閉じました。多くの方が、心配されたかと思います。本当に申し訳ありません。このような状況をまず克服し、自分自身や身近な課題さらには社会問題に立ち向かえるような状況を整えてから、本ブログを再開しようと考えていました。

この記事を書いている時も、そのような状況にまで至っているとはいえません。動揺しています。しかし、私に残されたこのブログを介して、少しでも発する機会を許していただければと思います。

http://d.hatena.ne.jp/kiimiki/20110312/1299922694


ご心配いただいた方もおられたようで、本当に申し訳ありません。

本ブログはじめとしての自己発信メディアに対する立場は、状況も相変わらずなので、変わらないと思います。自分自身の問題は、解決することはできない、という諦め・・・絶望的な気持ちもあり、あらゆる事に対して、遮断して閉じこもってしまうことも多々ありました。言語化できない状況は、現在進行形です。

しかし最近、また少し違う世界のみえかたができたみたいです。ポジティブなものかネガティブなものか、よくわかりません。言語化したい、発信したい、表現したい、そいうような感覚ではなく、つきあげてくるような衝動にただただ委ねてみようかと思っています。


そういうわけで、twitterを再開してみました。
アカウントは、@kiimikizです。
http://twitter.com/#!/kiimikiz


うまくコミュニケーションできるかわからないので、地味にぽろぽろとつぶやいているだけですが、一応公開でやっていますので、お手隙のときにでものぞいてください。
ぽろぽろが溜まったら、本ブログでも整理して、紹介できたらいいですね。

ではでは、まだ暑い日々が続きますが、水分をたっぷりとって、お体ご自愛ください。

【更新】「東北地方太平洋沖地震」をうけて


本ブログは、長らく更新を停滞しておりました。にもかかわらず、その間も多くの人が閲覧してくださっていることを、胸が熱くなる思いで時折確認していました。自分自身の体調の悪化が多くの関係者にご迷惑をおかけしたことで、しばらくの休養をとろうと考えました。といっても、完全に休養できるような環境がなかなか創れずに、揺れ戻しが続くばかりでした。それに伴って、twitterをはじめとした不特定多数にオープンに発信できる情報媒体を閉じました。多くの方が、心配されたかと思います。本当に申し訳ありません。このような状況をまず克服し、自分自身や身近な課題さらには社会問題に立ち向かえるような状況を整えてから、本ブログを再開しようと考えていました。

この記事を書いている時も、そのような状況にまで至っているとはいえません。動揺しています。しかし、私に残されたこのブログを介して、少しでも発する機会を許していただければと思います。


※お読みいただく際、私自身のPTSDや暴力被害の描写が含まれますので、しんどくなったり気分が悪くなったりする方は、ご注意いただければと思います。




前置きが長くなってしまいました。

2011年3月11日午後2時46分ころ、三陸沖を震源とするマグニチュード8.8の地震がありました。観測史上最大、現時点で死者1000人(12日16:30現在)を超えると報じられています。被災区域も非常に広く、被災地の状況もまだ不安が続き、余震、津波警報、停電、連絡不通等、混乱状況にある模様です。

私がこの報道を知ったのは、被災者の関係者からでした。最近の私は、テレビやネット等の情報を意識的に遮断しているということ、そして、とくに震災関連の情報は、今回だけでなく観れないということがあって、実態を知ったのは、それから10時間近く経ってからのことです。というのも、私自身、1995年の阪神大震災の被災者で、そのころの記憶が蘇ってしまうことを危惧しての判断でした。

目を逸らしてはならないと思いつつ、他地域のものも含めて震災関連の情報や震災メモリアル番組等については、極力避けていました。毎年1月になると不安定になります。それは、大人になるにつれて、激しくなっていきました。震災当時、幼かったために把握できていなかったことが、大人になってようやく事情を理解できたということだと思います。

友人・知人たちの被害を直接的に聞いたということで、このような言動に出るということも大変情けないと思います。私は、「安全」な場所から、報道を見守ることしかできていません。何も出来ていません。暗い部屋でテレビにしがみついて閉じこもってしまっています。

ただ、私自身が震災で経験したことが、どういうことだったのかを考えなければと思いました。震災は、生命を奪った、人生を奪った、希望を奪った、といえます。神戸では、そこから立ち上がった人たちもたくさんいます。しかし、私の想像していた以上に、事態は錯綜していました。まだまだ知らないことはたくさんありますが、大きくなってから知ろうとして知ったことです。

高齢者にとっては地震が戦時を想起させたこと、中でも在日1世の方々にとっては戦時だけでなく関東大震災に起きた朝鮮人虐殺事件を想起しそうしたデマに恐怖を抱いていたこと、読み書き・日本語の解さない在日外国人に情報や物資が届かず孤立化させてしまったこと、住環境の整備がなされていなかった被差別部落の壊滅状態、レイプによる被害やそれらのデマに脅えていた性的マイノリティ、野宿者の避難場所…etc。

被災者の中にも差異があります。被害の大きさの序列化をはかりたいのではありません。地震津波等の被害というのは、自然災害ではなく、「人災」だということです。人によって左右されるのです。


私の持っている情報はあまりにも少ないです。ただ、MLでわずかに流れてくる、阪神大震災の際に結成された救援NPOの情報はとても貴重だと思いました。神戸から何人かの方が派遣され救援活動に取り組んでいたり、コミュニティラジオ「FMわいわい」が多言語で情報を発信したりしています。


以下のページでは、コミュニティラジオでの多言語放送・情報伝えています。
◎「FMわぃわぃ」
自治体国際化協会やJICAと制作した在日外国人向けの多言語による地震津波情報を放送中だそうです。次のページからインターネットでも聴けます。
http://www.tcc117.org/fmyy/internet/index.html    


またFMわぃわぃのホームページで多言語で情報を伝えています。
http://www.tcc117.org/fmyy/index.php 



以下のページでは、現地のレポートや募金を呼びかけていますので、ご参考までに。
◎「被災地NGO恊働センター」
http://www.pure.ne.jp/~ngo/



以下のページでは、女性の視点から災害時の情報交換がなされています。
◎「「災害と女性」情報ネットワーク」
http://homepage2.nifty.com/bousai/



以下のページでは、LGBTの視点から被災地で活動する救援団体向けに文章がまとめられています。
◎「被災地のLGBTが望むこと」
http://w.livedoor.jp/saigai_lgbt/


以上、拙い文章で申し訳ないです。

さきほどの報道では「原発爆発」との情報もありました。また、余震による二次被害にもどうかお気をつけください。

「嶋田ミカさんの雇用継続を求める会」賛同人のお願い

 久しぶりのブログ更新となりましたが、緊急のお知らせです。

 龍谷大学の助手をされていた嶋田ミカさんが、雇い止めになり7月5日に京都地裁に提訴することになりました。
 「嶋田ミカさんの雇用継続を求める会」の賛同人を募っていますので、ご協力お願いいたします。宣伝もお願いいたします。

「嶋田ミカさんの雇用継続を求める会」賛同人のお願い           
「嶋田ミカさんの雇用継続を求める会」 
代表 田中宏

 龍谷大学特別任用教員助手の嶋田ミカさんが、本年3月、「雇い止め」を通告されたことをご存知ですか。嶋田さんは2007年4月に経済学部サービス・ラーニングセンターに3年契約(一回更新可)の助手として採用されましたが、大学当局から何らの理由も明らかにされることなく、単に「期間終了」というのみで解雇されました。大学当局の行為は、とうてい納得のできるものではありません。
 嶋田さんは民際学の研究者としての業績だけでなく、インドネシアの貧困女性を対象にマイクロ・クレジットを供与するという地道な活動も続けています。嶋田さんのこうした研究業績や実践がサービス・ラーニング・センター助手の仕事にも生かされたことはいうまでもありません。
 龍谷大学は、建学の精神(浄土真宗の精神)に基づく、すべての「いのち」が平等に生かされる「共生(ともいき)」の理念を掲げています。「人間のポイ捨て」に等しい今回の雇い止めは、この建学の精神に合致しているとは思えません。
 この間、嶋田さんは、龍谷大学職員組合を通じて大学当局と交渉を続けてきましたが、大学当局の態度は全く変わりませんでした。嶋田さんは今回の雇い止めは、あまりに理不尽であると考え、やむなく、7月5日京都地方裁判所に提訴することにしました。
 最近、多くの大学で所謂「高学歴ワーキングプア」と称される非正規の教員が増加し、理由なき有期雇用や「雇い止め」が横行しています。しかし、ほとんどの人が次の就職などを考え、泣き寝入りせざるを得ないという現状です。
 この流れを止めるためにも自分が声をあげなければという嶋田さんの堅い決意に対して、私たちは「嶋田ミカさんの雇用継続を求める会」を発足させて、全力で支援していこうと考えています。嶋田さんの闘いを支えるために、この会の賛同人になっていただきますようお願い申し上げます。賛同していただける方は、添付ファイルの「賛同人申し込みフォーム」にご記入の上、第一次締め切り7月3日までにメールかFAXで以下の事務局に送ってください。


嶋田さんの雇用継続を求める会
〒556-0022大阪市浪速区桜川2-13-15  外国人政策懇話会気付  
Tel&Fax: 06-7492-7166  
EーMail:s.koyokeizoku@gmail.com  
事務局担当: 嶋川まき子 林真司

  
呼び掛け人一覧              (6月23日現在、50音順)

代表:田中宏(元龍谷大学経済学部特別任用教授・一橋大学名誉教授)
生田武志(野宿者ネットワーク代表)
井上昌哉(京都大学時間雇用職員組合ユニオンエクスタシー世話人
小川恭平(京都大学時間雇用職員組合ユニオンエクスタシー世話人
小川裕子(生活保護施設職員)
片山一義(札幌学院大学経済学部教員)
角岡賢一(龍谷大学経営学部教授)
北上田毅((特活)京都サマール友好協会理事長)
久場嬉子(元龍谷大学経済学部特別任用教授・東京学芸大学名誉教授)
竹中恵美子(元龍谷大学経済学部特別任用教授・大阪市立大学名誉教授)
戸村京子((特活)チェルノブイリ救援・中部理事)
中村尚司(龍谷大学研究フェロー・(特活)JIPPO専務理事)
春山文枝(多目的カフェかぜのね協同経営者・元京都精華大学人文学部准教授)
古屋哲(大谷大学非常勤講師)
細川孝(学術人権ネットワーク事務局次長・龍谷大学経営学部教員)
丸山里美(立命館大学産業社会学部准教授)
宮田弘(京都市交通局職員)
望月太郎(大阪大学大学教育実践センター教授)
森石香織(看護師)
屋嘉比ふみ子(ペイ・エクイティ・コンサルティング・オフィス代表)
山崎淳子(元京都橘高等学校教員)
山根実紀(京都大学大学院教育学研究科院生)
山原克二(ゼネラルユニオン委員長)
脇田滋龍谷大学法学部教授)
嶋川まき子(元高等学校教員・女性卒業生のための労働相談室主宰)
林真司(外国人政策懇話会世話人


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* 所属先は固有名詞を挙げなくても、肩書きと合わせて例えば「大学非常勤職員」でも結構です。


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*ご協力、ありがとうございました。

映画『プレシャス』

映画『プレシャス』

2009年、アメリ
◆スタッフ◆
監督/製作:リー・ダニエルズ/脚本:ジェフリー・フレッチャー/原作:サファイア
◆キャスト◆
プレシャス: ガボレイ・シディベ/メアリー:モニーク/ミズ・レイン:ポーラ・パットン/ミセス・ワイス:マライア・キャリー/コーンロウズ:シェリー・シェパード/ナース・ジョン:レニー・クラヴィッツ

公式HP http://www.precious-movie.net/


映画『プレシャス』を観てきた。日本での公開が決まる前から、映画に詳しい友人が薦めていたので、ずっと楽しみにしていた。アメリカでは、インデペンデト系の映画として、小規模で公開されていたが、口コミで評判となって全米の映画館で公開されるようになった。サンダンス映画祭でグランプリを受賞したほか、マライア・キャリーレニー・クラヴィッツら、有名スターが脇をかためていることでも話題を呼んでいる。また、アカデミー賞6部門にノミネートされ、助演女優賞脚本賞を受賞した。

予告を観たときも、すでに鑑賞した方から「キツいよ」と念押されたときも、覚悟しておかないとと心に決めていたものの、鑑賞後はやはりぐったりだった。こんなにも引きずるとは思わなかったし、こんなにもまとめるのに時間がかかるとは思わなかった。それも当然のはずだ。このブログを開設した当初、カテゴリーに「サバイバー」と分類しておきながら、書く準備なんて全くできていなかったのだから。しかし今回は、自分の感じたこととか、この映画の意味とか、しっかり整理して書き留めておきたいと思った。


(※ネタバレも含むので、これから鑑賞予定の方は、ご注意ください。また、性暴力被害に関する記述が含まれるので、そうした記述を読んだときに、気分が悪くなったり感情をコントロールできなくなる方は、ご注意ください。)


※あらすじ

1987年、ニューヨーク・ハーレム。16歳の少女プレシャス(ガボレイ・シディベ)は、実父と義理の父のレイプによって2度も妊娠をさせられ、母親メアリー(モニーク)からは精神的にも肉体的にも虐待を受けていた。12歳のときに産んだ最初の子どもは、近所に住む祖母に預けられている。「プレシャス=貴い」という名前とは裏腹に、悲惨な家庭環境に生きていた。

二度目の妊娠が、学校にバレてしまい、強制的に退学させられてしまうところから、物語は始まる。学校長は、プレシャスに、代替学校(オルターナティブスクール)への通学をすすめた。しかし、母親は、教育なんかいらない、偉くなった気でいるのか、と娘の学びを奪おうとする。

プレシャスは、日常の読み書きがほとんどできない。学校には行きたいが、父親が行方をくらましてから、自暴自棄で怠惰な母親の代わりに、家事全般を強いられていた。しかし、彼女は、オシャレをして恋をして、歌手や女優になることを夢見る少女だ。妄想の中で歌ったり踊ったりしているときが、過酷な現実を少しでも忘れられるひと時であった。

ある日、学校長が話していた住所の通り、代替学校に訪ねてみた。そこでは、移民、ドラッグ、貧困など同じような境遇にある少女たちが一緒に机を並べている。とくに女性教師レイン(ポーラ・パットン)との出会いは、プレシャスの人生にとって大きな転機となった。読み書きを学び、自らの人生について書くことによって、自己に目覚めていく。レイン先生の存在は、「希望」だった。自身の人生を諦めずに、自らの道を自ら決めて進もうと逞しく成長していく姿が、多くの聴衆の感動を呼ぶことになる。


以下の文章が、この映画の背景など詳細に解説してあって分かりやすく、参考にさせていただいた。

レーガン時代、黒人/女性/同性愛者であることの痛みと覚醒――サファイアの『プッシュ』とリー・ダニエルズ監督の『プレシャス』をめぐって」
http://c-cross.cside2.com/html/a00re002.htm


混乱するくらい、さまざまな問題が詰まっている。鑑賞中、暴力のシーンは、身体が強張ってしまって、とにかく緊張していた。父から娘、母から娘への虐待、歪みきってしまった暴力の構図がある。母親が登場するだけで、何が起こるのだろうと、不安な気持ちが押し寄せてくる。母親が去れば、ホッとして肩の力が緩まるのが分かった。

モンスターぷりを発揮する母親を、多くの観衆が非難の眼差しを向けていたに違いない。それだけ母親役のモニークの演技は迫真であった。しかし、私には、彼女を憎み切れない、薄々気づいていることがあった。映画の終盤、生活面で支援してくれていた、ソーシャルワーカーマライア・キャリー)との三者面談のシーンで、母親はすべてを告白した。父親のプレシャスへの性的虐待は、3歳の頃からだった。宝物(プレシャス)である赤ん坊を、夫婦の間に寝かせていたが、二人がセックスする際に、夫は赤ん坊を触り始めた。「何をするの?」と何度も何度も訴えたが、彼に愛してもらうために、それらを許してしまったというのだ。おっぱいも父親のために減らしたくなかった。私が悪いの?と迫りくる悲痛な叫びが、私は最も耐えられなかった。娘への肉体的・身体的な虐待は、許さざる問題であるが、彼女も被害者であることを忘れてはならない。この夫婦が、DV関係であったことを改めて確認しなければならない。

1980年代のアメリカは、経済格差が拡大していく最中にあった。とくに黒人コミュニティに与えたショックは大きかったという。貧困の中で、疎外される男性たちは、家庭内にそのはけ口を求める。DVや性的虐待などの暴力が蔓延っていた。しかし、そうしたコミュニティ内部の暴力に言及することは、タブー視されていた。この映画の原作『Push』の暴力の描写についても、評価は分かれていたらしい。

しかし、原作者のサファイア自身も家庭内暴力のある環境に育ってきたし、今回の映画監督のリー・ダニエルスが原作を読んだ際に自分の物語だと共感し、母親役のモニークが兄からの性的虐待を告白しているように、この映画を創造するものたちが暴力を見逃さなかった。モニークは、雑誌のインタビューで、幼いころに兄から性的虐待を受けていたが、両親に訴えても何もしてくれなかったことを明かしている*1。今回の役どころは、辛かったに違いない。映画に関するインタビューでは、どうしても耐えがたいシーンもあったと応えている。早く自分に戻らなければ怖かった、あまりにも残酷で、だけど同時になぜそんなふうになったの?と原因を聞いてあげたくなる、と*2


原作者のサファイアは、1950年、カリフォルニア生まれ。米国内軍基地を転々として育った。軍人の父親は、家庭内では暴君であったため、母親は幼いころに出ていってしまった。1977年に、スラムポエムをするためにニューヨークに移住。“United Lesbians of Color for Change Inc”というゲイ組織のメンバーでもあった。1983年から10年間、ハーレムで読み書きの教師としての経歴がある。1996年に出版された『Push』は、教師をしていた頃のある教え子をモデルにしたとされている。

劇中、プレシャスは、母親の虐待から着の身着のまま逃れて、出産した赤ん坊を抱え、一時的に女性教師レインの家に身を寄せることになる。そこで、レイン先生が、同性パートナーと同居していることを知る。それまで同性愛者を嫌悪の対象としてみていたプレシャスは、驚いてしまう。「同性愛の人間はあたしをレイプしないし、勉強の邪魔もしない」と、彼女にとっての他者を受け入れていこうとするのである。このレイン先生こそが、原作者サファイアの目線ではないだろうか。

原作『Push』では、代替学校でアリス・ウォーカーの『カラーパープル』(1982年)を読ませる場面があるようだ。作家アリス・ウォーカーは、人種差別と性差別を訴えるブラック・フェミニストの先駆的存在で、サファイアと同時代の人物である。自身が女性であることレズビアンであることで、社会一般だけにとどまらずコミュニティ内部での疎外も感じてきたのだろう。だからこそ単純な二項対立で社会構造を認識するのではなく、人種やジェンダーセクシュアリティなど重層的な差別構造を捉えようとしていた。

ちなみに、映画『プレシャス』の監督リー・ダニエルス自身は、ゲイであることをオープンにしており、ゲイであることを理由に父親からの虐待を受けたこともあるという。もちろん暴力の対象は、女性/男性にかかわらず問題にしなければならないし、コミュニティ内部のホモフォビアを訴えるものでもあるということだ。こうして原作者や監督をはじめ、第二波のフェミニズムを超えて、映画が創られてきたのだと思うと、胸が熱くなる。


ところで、たまたま音楽評論家の藤田正さんの映画評を読んだ*3。そこでは、文字を覚えていくことを、「自分との出会いであり、光ある道への選択であった」、「読み書き、あるいは「識字」がいかに大切であるかをぼくらに伝える」と言及してあった。この点に関しては、少し首を傾げてしまう。この映画で、ただひとつだけ不満に思ったところであるからだ。

この代替学校での学びは、まさに識字教育である。映画の中では、とにかく毎日何かを書かせていた。プレシャスの人生や子どものことなど。原作では、先述したように、『カラーパープル』を読ませているのだが、これは私の知っている日本の夜間中学や識字教室でも同様のことがいえる。共通していえるのが、生徒たちの「意識化」である。これは、ラテン・アメリカの教育者パウロフレイレの教育実践に基づいている概念であるが、識字を獲得する過程で、被抑圧者としての「意識化」をはかり、社会変革の主体として立ち上げていこうとした画期的な実践であった*4。そういう意味では、識字は政治を変えていくための「手段」と言えるかもしれない。しかし、あたかも識字を獲得しなければ「意識化」できないような、普遍的技術としての識字観を批判的に追究しなければ、識字が社会的に適応するための「同化」の装置になってしまうことを追い隠してしまうだろう。識字という制度が序列化を生み出すという暴力性を認識しなければならない。

識字や教育の暴力は、まさに母親メアリーの態度に表れている。彼女は、学校や教師を疎ましく思い、娘を教育から遠ざけようとする。学校に行って「偉くなった気でいるのか」、「そうやって私を見下そうとするのか」と。彼女は、教育を全く信じていない。それどころか、教育によって抑圧された経験があるのだろう。教育によって抑圧され、教育によって救われるという、母と娘の一見非対称な構図が、いかに排除と包摂という暴力を孕んでいるかを示している。

さきほど、レイン先生が原作者サファイアだと記した。実際、サファイアは、ハーレムで読み書きを教えているときに出会った生徒をモデルに、この話のアイデアを発想したと話している。原作者サファイアのことを何も知らないで映画を観たが、直感的にこの物語が教師目線で描かれていることを感じた。劇中、レイン先生はとても魅力的で、かっこいい。ナルシストだと言いたいのではなく、レイン先生はあまりにも美化されているということだ。

プレシャスにとって、代替学校、レイン先生、識字、これらが僅かな「希望」をもたらしたと描かれる。たしかにそれらに出会わなければ、彼女の成長はなかったかもしれない。私は、そうした女性たちのエンパワーメントを認めつつ、「教育神話」ないし「識字神話」についてはどうしても慎重になってしまう。識字が政治的中立的な道具ではありえないし、教える―教えられる、識字―非識字というだけで、すでに力関係があるからだ。もしレイン目線でプレシャスをみつめているのならば、教師の傲慢さが見え隠れする。私の捻くれた根性をお許しいただきたい。

「識字神話」については、id:hituzinosanpoさん*5などが主張してきたことでもあり、識字教育ではなく、識字優位な社会構造を変えていく行動が、求められていると思う。ただ、私は、識字についてこれだけ偉そうなことを言いつつ、やはり識字から自由にはなれていない。このブログもルビさえふれていない。たくさんの矛盾を自覚しつつ、思考停止だけはしたくないし、これからも模索していきたいと思う。


映画の話に戻る。彼女の成長や前向きさが、レイン先生や識字を通して語られることの違和感だけでなく、私が映画のメッセージを素直に受取れなかった理由は、どうしてもこれからどれだけの苦難が待ちわびているのだろうと悲観的になってしまったからだ。「気づく」ことが、自身をエンパワーメントさせることの一方で、常に闘わねばならない状況をつくる。「支えてくれる人」たちが、「味方」だとは限らない。これから起こりうる「二次被害セカンドレイプ」が、さらに自尊心を傷つけられるかもしれない。ほんとに暗い性格だと思う。もう少し「勇気」とやらを素直にもらいたかった。



※追記
映画『プレシャス』の感想について、日々変わっていくので、はてなハイクで、感じたことを書き留めていこうと思います。良かったらこちらも併せてお読みください。
http://h.hatena.ne.jp/keyword/%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%80%8E%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%80%8F%E3%81%AE%E6%84%9F%E6%83%B3%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6

*1:http://www.essence.com/entertainment/hot_topics/precious_star_monique_talks_abuse_in_ess.php

*2:http://ch.yahoo.co.jp/phantom/index.php?itemid=189

*3:藤田正「惨めで屈辱的な生活の先―アメリカ映画『プレシャス』」『部落解放』5月号、2010年

*4:パウロフレイレ(小沢有作ほか訳)『被抑圧者の教育学』亜紀書房、1979年

*5:あべ・やすし「均質な文字社会という神話―識字率から読書権へ―」『社会言語学』、2006年9月

「彷徨する魂を追う〜NDUからNDSへ〜」


個人的に観たいので、宣伝しちゃいます。新作も興味深いのですが、70年代の古い映画も一緒に上映するので、楽しみなのです。最近、70年代を重点的に調べているということもあって、いろいろ観てみたいと思っていたところ、もうどれを観ようか迷い中……。監督の年齢層も影響しているとは思いますが、こうしてみると、70年代がいかに世界的にも重要な時代だったか実感します。70年代は、日本の社会運動において、パラダイム転換がはかられ、さまざまな領域で意味深い時期です。70年代を振り返り、70年代以前と何が転換したのか、そしてそれを総括しつつも引き継ぐべきところはおさえる。さらに、依然変わらない現代社会の構造に新たな眼差しを向け、どんな次代を創っていくかを考えたい。そんな機会になりそうだなーと勝手に予感。だから、ドキュメンタリーの力ってすごいなと思うのです。

長居や釜ヶ崎にかんしては、何気に現場にたちあっているので、感慨深いです。釜ヶ崎のデモにちょこっと映ってたりして…。

前売りチケットは、800円だそうです。私も、主催者から、10枚ほど預かっていますので、直接渡せそうな方はお売りしますよー♪


<以下、転送大歓迎>

NDU+NDS作品上映
「彷徨する魂を追う〜NDUからNDSへ〜」


――人として生きる権利を奪われた者、奪われた事実さえ無かったことにされようとする者達の、可視化されることのなかった姿が浮かびあがる――


――関西発、若手ドキュメンタリー集団登場。
大阪・西成を拠点とするNDSの旗揚げ上映!
大阪市・九条シネ・ヌーヴォにて一挙公開!!


このたび、ドキュメンタリー集団であるNDU(日本ドキュメンタリスト・ユニオン)とNDS中崎町ドキュメンタリー・スペース)は、両作品の上映会を行うことが決定いたしました。5月1日(土)から14日(金)の間、二週間かけて一挙作品上映を行います。新作二作品「空っ風〜千里開発・RCの陰謀〜」、そして「遺言なき自死からのメッセージ」の初のおひろめとなります!

*2009年山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波正式招待作品「長居青春酔夢歌」(監督:佐藤零郎)
ヒロシマ平和映画祭招待作品「中村のイヤギ」(監督:張領太)
*ゆふいん文化・記録映画祭上映作品「釜の住民票を返せ!」(監督:金稔万)などを含む前15作品一挙上映!!



NDSとは、大阪・西成を拠点とする若手ドキュメンタリー集団です。これまでわたしたちは、長居公園強制執行千里ニュータウン建替え問題にともなう強制執行といった、生存の場所を奪われる瞬間を記録し続けてきました。1970年代学生運動の現場から出現し、沖縄からアジアへと渡り流浪する人々の姿を撮り続けてきたNDUもまた、そうした生存の場を奪われようとする者、奪われた事実すらなかったことにしようとされる者たちの、可視化されなかった姿を映し出しています。

 最近ではデジタルビデオを使って誰でもドキュメンタリーをつくれるようになりましたが、わたしたちはかつてフィルムの時代に行われていた集団による制作過程を大事にしたいと思っています。それぞれ個人が内にこもっていくような現代社会の中で、ドキュメンタリーもまた自分の身の回りの出来事を追っかけるようになってきているように感じます。そんな中でわたしたちNDSは、フィルム時代に行われていた集団制作を行うことを通し、グループ内で議論や互いの作品の批評をしあうことによって、制作段階からより社会に開かれた表現をしていきたいと思っています。

 今回の上映会では、2009年山形国際ドキュメンタリー映画祭のアジア部門において655作品の中から正式招待作品に選ばれた「長居青春酔夢歌」(監督:佐藤零郎)や、ヒロシマ平和映画祭招待作品である「中村のイヤギ」(監督:張領太)、ゆふいん文化・記録映画祭上映作品「釜の住民票を返せ!」(監督:金稔万)といった既に各地で上映がくり返されている作品群に加え、NDS初の集団制作である「空っ風〜千里開発・RCの陰謀〜」(監督:中村葉子)、そして梶井洋志監督による「遺言なき自死からのメッセージ(仮)」(NDS)の二作品初上映が決定、さらにNDUの諸作品や招待作品も含めた全15作品が一挙上映されます。



○会期:2010年5月1日〜2010年5月14日
○会場:シネ・ヌーヴォX
●前売り1回券800円、3回券2400円、フリーパス8000円
前売り券は劇場窓口、にて好評発売中!
●当日:1000円
*連日朝より当日分の整理番号付きの入場券の販売を開始します。ご入場は各回10〜15分前より整理番号順となりますので、前売り券 なども受付にて入場券とお引き換えください。各回完全入れ替え制となりますのでご注意ください。

■主催/NDSシネ・ヌーヴォ
シネ・ヌーヴォhttp://www.cinenouveau.com/
NDSブログ http://karasunazenakuno.blog29.fc2.com/
NDS HP(作成中) http://nakazakids.sakura.ne.jp/#

問い合わせ・連絡先
メール;nds-2010osaka@hotmail.co.jp



***上映作品***

――NDU――
「bastard on the border 幻の混民族共和国」
「アジアはひとつ」
パレスチナ76−83 パレスチナ革命からわれわれが学んだもの」
「沖縄エロス外伝・モトシンカカランヌー」
「風ッ喰らい時逆しま」
「倭奴へ 在韓被爆者・無告の二十六年」
「鬼ッ子 闘う青年労働者の記録」


――NDS――
「中村のイヤギ」
「釜の住民票を返せ!」
「空っ風 〜千里開発・RCの陰謀〜」
「(仮題)遺言なき自死からのメッセージ」
「長居青春酔夢歌」


――招待作品――
「雲の上」「空族」・富田克也監督
「FURUSATO 2009」「空族」富田克也さん・相澤虎之助さん来場トークあり!
「へばの」木村文洋監督来場トークあり!

空族のHP→ http://www.kuzoku.com/
木村文洋監督→ http://teamjudas.lomo.jp/



<NDU・NDSについて>

NDU(日本ドキュメンタリストユニオン)
NDUは、「早大150日間ストライキ」を担った早大中退者を中心に1968年に結成された。その映画づくりは小川プロ、土本典昭らと同時代にあって学生運動高揚期から長期にわたって闘争の現場を撮り続けてきた。その視線は学生運動ベトナム反戦でもりあがる新宿から、沖縄―台湾―朝鮮へと歩を進め、国境をまたいで流浪する労働者の姿を追い続け、“アジア”への視点を独特の地平から切り開いていったといえる。


NDS中崎町ドキュメンタリー・スペース)
NDSは映画監督・原一男氏による「ドキュメンタリーする快楽」(2006年春〜2007春)講座を受けていたメンバーの集まる場としてはじまった。講座終了後も、自分たちで製作途中の作品をともに批評し合いながら切磋琢磨してきた。中崎町にあったそんなスペースをいつしかNDSと呼ぶようになったのである。皆既存の枠に収まることを拒んだ者達だ。住居・人として生きる権利を奪われた者、奪われた事実さえ無かったことにされようとする者達の、可視化されることのなかった姿を浮かび上がらせようと、カメラを回す。現在、中崎町にあった事務所を西成区釜ヶ崎に移し、劇映画を企画している。現在では珍しい若手ドキュメンタリー制作集団。

「ウォリアーの心得」

最近、体調も崩し落ち込んでいたので、ブログの更新もご無沙汰してしまった。すごく暗かったので、音楽の話でもしようと思う。

私は、極めるまで何かに打ち込んだという経験が少ないので、どれも中途半端で何も語る資格はない。音楽も気まぐれに聴くぐらいだ。しかし、最近ふと思い出したアーティストがいた。改めてヘビロテで聴いている。こんな落ち込んでいるときに、力をくれた。語るほどの知識は持ち合わせていないが、超個人的に書き留めておきたい気分。音楽に精通している人からすれば、ド素人の知ったかぶりであるが、以下、思い出話程度に読んでいただければ幸いである。


昔からR&Bが好きだった。男性も女性も聴いていたが、やはり圧倒的に女性。私が最も良く聴いていた時代は、2001年〜2003年くらいだったと思う。HIPHOPとのコラボレーションが大流行していた。私もその流行に踊らされて、よく聴いていたし、いまだ色褪せない曲も多いと感じている。コラボを通じて好きになった女性シンガーも多い。

アメリカの音楽シーンにおいて、HIPHOPは強力な地位を確立していた。その大半は、男性ラッパーが占めていたといえる。女性ラッパーは圧倒的に少なかった。R&Bの地位が低いというわけではなくて、必然的にR&Bに女性シンガーが集中していた。それゆえか、フューチャーする際、女性シンガーの存在は副次的な印象が強かった。言葉は悪いが、男性ラッパーの添え物でしかなかった。その上、典型的な異性愛を歌われることが普通だったろう。

たとえば、鮮明に覚えているのは、Ashantiだ。彼女は、Ja Ruleとのコラボ曲「Always On Time」(2001年)で大ヒットし、その名を世界中に知らしめた。とってもキュートで彼女の活躍を追っかけていたが、2枚目のアルバムは残念ながら期待以上のものではなかった。いや、思い返すと、あの曲もひどいものだった。“私はあなたのもの、あなたが電話するときは常にそこにいるわよ”的な男性に従属的な女性像を歌っていた。どちらにしろ女性R&Bシンガーに、使い捨てのイメージが焼きついた。今思えば、これは、新人やソロ進出する女性シンガーにとって登竜門的な役割を果たしていたのかもしれない。

音楽業界のあれこれを詳しく知らないが、女性が生き残っていくのは大変だったと思う。それ以前は、グループで売り出す傾向があったように思う。TLCとかDestiny's Childとか。彼女たちも素晴らしかった。女性グループならではのパワーがあった。Destiny's Childの「Survivor」(2001年)は、今でも思い出してよく聴く。友人に教えてもらったライブ動画の、アフリカ女性を意識したコンセプトに感銘を受けた。

「Destiny's Child - Survivor live in Rotterdam 2002」


しかしだ、そんな彼女たちでさえ、ソロで売り出す際、男性ラッパーとのコラボだったのだ。Kelly Rowlandは、Nelly と「Dilemma」(2002年)。好きだったけど。Beyonceは、現パートナーのJay-zと(2003年)。どちらの曲も大好きだったのだし、流行があったわけなので、悪いとは思わないのだけど、なんだか釈然としない。

そんな中、数は少ないが、女性ラッパーも登場している。私は、Missy ElliottやEveをよく聴いていた。ラップにうとい私でも、彼女たちはかっこいいと思った。実力もあったし、何よりも男性に媚びない態度に惹かれた。両者とも女性R&Bシンガーとよくコラボしていた。中でも、今ぱっと思いつく限りでお気に入りだったのが、Missy ElliottBeyonce(ほか)の「Fighting temptation」(2003年)、EveとAlicia keysの「Gngsta lovin」(2002年)である。当時は意識していなかったが、やはり男性ラッパーとのコラボとは違う感覚で聴いていた。コラボの意味合いが全く異なった。英語が苦手なので、歌詞の意味をちゃんと理解していたわけではなかったが、女性の主体性や女性同士の力強さを無意識に感じとっていた。

かつてはよく聴いていた男性ラッパーと女性シンガーのコラボ曲を、また聴こうとは思わなくなった。あの頃は10代後半だった。男性ラッパーのお飾り的な女性シンガーの立ち位置を何気なく内面化していた。あれから女性としていろんな不条理さを味わった。すんなりとそれらの曲に適応することができなくなった。そのことをあまり深く考えたことがなかったが、安直に言ってしまえば、私の中のフェミニズムが覚醒したからではないかと思う。ほんとに安直だが。

今は、若いときほど、いろいろ発掘してまで音楽を聴く余裕がない。しかし、継続して聴いているアーティストはいる。Alicia は、根強い。彼女は、女性をエンパワーメントするような曲を意識的に創っているようだし。上述しなかったが、Macy Grayも大好き。Macyも私の中では別格だ。

ところで話は脱線するが、最近はよくロックとかポップも聴くようになった。Lady Gagaの影響だ。私は彼女の熱狂的なファンである。彼女の出現は、衝撃的であった。強烈な個性とクオリティの高さは、天才としか言いようがない。しかも、パフォーマンスが、かなりクィア度が高いところがポイントである。

Gagaは、Beyonceなどの女性シンガーとコラボしている。ラップ+歌という定式が、すっかり解体してしまったかのようだ。Beyonceが参加した「Telephone」なんか、あのビヨンセGaga色に染まってしまった。女性同士の結託あるいはホモソーシャリティともいうべきか(個人的にはもはや“やおい”だが)、Gagaは女性アーティストの新時代を切り拓いたと言っても過言ではない(と思いたい)。彼女自身、バイセクシュアルを公言していることも無関係ではないだろう。


前置きが長くなってしまった。さて、最近思い出したというアーティストのことだ(何のことか忘れた人は冒頭に戻ってね)。

私が、コラボ曲の流行に踊らされていたとき、かなり異彩を放っていた女性シンガーがいた。Erykah Baduである。1997年に発売されたファーストアルバム『Baduizm』を取り寄せてよく聴いていた。そのことをふと思い出して、他のアルバムを借りてみた。改めて聴いてみると、あの頃の流行の曲調に流されない、研ぎ澄まされたソウルフルな音が脈打っていた。

ファーストでは、「Next life time」という曲が印象的である。一見普通のラブソングっぽいのであるが、PVの演出でよりメッセージ性を強調している。PVの最初、1637年、アフリカのどこかの地。生まれ変わって、1968年、ヨーロッパ。「アフリカの年」と言われた1960年代、おそらく地下活動的にやっていた独立闘争を描いているのではないだろうか。そして、3000年代、未来へ。

Erykah Badu - Next life time」


セカンドアルバムの『Mama’s Gun』(2001年)を発売するまで、彼女は子どもを産んで育て、シングルーマザーとなっていた。このセカンドアルバムには、「The warriors reminder(ウォリアーの心得)」という詩が記されている。この詩の精神にあるように、彼女の闘いがこのアルバムに具現化されている。「Didn’t Cha Know」や「My life」は、黒人差別を歌っているようにも思うし、「Booty」は、自分がお金を持っていなくて、働かなくていいと言われても「あんな男は要らないわ」という曲。「…& on」は、ファーストの「on&on」の続編で、この歌詞がとても深い。

but everybody wanna ask me
why
what good do your words do
if they can’t understand you
don’t go talkin’ that  badu


だが誰もが聞きたがる
何故
何 言葉通りのことをすればいい
もし彼らがあなたを理解できないのなら
そんなことを話す必要はないのだ バドウ


※『Mama’s Gun』(2001年)の歌詞カードから引用


次のアルバム『worldwide underground』(2003年)。「the grind」が、シングルマザーや労働について歌っている。「think twice」では、自らを犠牲にしてまで結婚(?)をする必要はないという曲。「Love of my life worldwide」では、Queen LatifahAngie Stone、Bahamadiaの4人の女性でのリミックス。ラップも入っていてかっこいい。勝負している感じがする。同じタイトルで、かつての恋人だったCommonとフューチャーしているが、対等な関係性が歌われていて、こちらも共感するし安心して聴くことができる。

2008年には『New Amerykah, Pt. 1: 4th World War』が発売され、もうすぐ『New Amerykah Part Two: Return of the Ankh』が出る。一部しか聴いていないが、着実にパワーアップしている。

Erykahは「女性」というジェンダーを売り物にしたり、性差を利用することから離れていると評価されている。確かに、男性とのコラボで異性愛を表現しても居心地の悪さを感じさせないし、むしろ常に彼女は闘っている。当時、HIPHOPは、セックスや金のことばかり歌ってきたと言われているが、他方で彼女は人種・階級・ジェンダーなど錯綜した状況に置かれる黒人女性の姿を意識的に歌ってきたし、彼女自身が体現しているものすべてをそのソウルに注ぎ込んできたのではないか。

いわゆるブラックミュージックを「消費」していたあの頃。「無知」や「無関心」と居た堪れない「無垢さ」から、ようやく「気づき」を得た今、Erykahにようやく出会い直すことができた。もっと早くに出会っていればとも思うが、これほどの時を私は必要とした。また数年後、どのような出会い方ができるだろうか。

最後に、「the warriors reminder(ウォリアーの心得)」を転載する。トイレにでも貼り付けて、毎朝チェックして家を出たいくらい。

「the warriors reminder(ウォリアーの心得)」


i am awake(私は覚醒している)
my mind is free(私の心は自由だ)
i am creative(私は創造的だ)
i love myself(私は自分自身を愛する)
my willpower is strong(私の意志は強い)
i am brave (私は勇敢だ)
i practice patience(私は辛抱する)
i don’t judge folks(私は人を裁かない)
i give, not to receive(私は与える、受け取るのではなく)
i don’t expect(私は期待しない)
i accept(私は受け入れる)
i listen more than I talk(私は話すよりも耳を傾ける)
i know I’ll change(私は自分が変化することを知っている)
i know you’ll change(私はあなたが変化することを知っている)
i’ll hold on one more day(私はもう一日我慢する)
i start over when necessary(私は必要ならば一からやり直す)
i create my own situations(私は自分で状況を創りだす)
i am cosmic(私は宇宙のように広大である)
i do not have the answers(私は答を持たない)
i desire to learn(私は学ぶことを切望する)
i am the plan(私がプランである)
i am strong(私は強い)
i am weak (私は弱い)
i want to grow(私は成長することを望む)
i know I will(私は成長することを知っている)
i take on responsibility(私は責任をとる)
i hide myself from no one(私は誰からも隠れない)
i’m on my path(私は自分の道を歩む)
warriors walk alone(ウォリアーは独りで歩く)
i won’t let my focus change(私は焦点をずらさない)
taking out the demons in my range(心に巣食う悪魔と闘いながら)
that’s mama’s gun(それこそがmama’s gun)


E.Badu


※『Mama’s Gun』(2001年)の歌詞カードから引用

(追加情報更新)民族差別・外国人排斥に反対し、多民族共生社会をつくりだそう 朝鮮学校への攻撃をゆるさない!3・28集会

最近、情宣ブログのようになってきました(笑)どうかお許しを。

この集会の案内をしたかったのですが、バタバタしていて、後回しになってしまっていました…。日にちが迫っており、かつ共同アピールへの賛同も一次集約日も過ぎてしまいましたが、まだ受け付けていると思います。どうかご協力お願いいたします。

2000人規模の集会&デモを目標にしているので、ぜひ宣伝のほうもご協力ください。

ちなみに、「在特会」は先日3・28集会への妨害予告を出していたようですが、どうなったんですかね?東九条にはまた出没するようで、少し心配です…。


個人的には、気持ちとして怒りをどうしても隠せませんが、「反対する」「許さない」「手を出すな」という姿勢で、日本政府や「在特会」を自分と切り離すのではなく、自分たちの中の排外主義を見つめなおし克服するという思いで集会に参加したいなと思っています。







(以下、転送転載歓迎)


■サロン吉田山
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn

民族学校を考える
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mingakko ← 民族学校に関するデータ多数!


(※追加情報:「在特会」の行動の最新情報です。)

共同アピールの賛同人・賛同団体の皆さん、すべての仲間の皆さんに、3月28日の京都円山公園野外音楽堂での集会の最新の要綱、およびこの日の在特会主権回復を目指す会の動き(3月20日の段階で変更)についてお知らせします。

 この日、在特会らは、午後3時に京都朝鮮第一初級学校の近くの北岩本公園に集合し、学校にデモをしかけるという形で、朝鮮学校への三度目の襲撃を行なうと宣言しました(この日は学校は休日で誰もいませんが)。なお、彼らはこの日の行動開始時間を午前12時30分としており、北岩本公園に集合する前に何らかの予告無しの 行動を予定している可能性もあります。また、在特会らは、朝鮮学校への襲撃にとどまらず、3月6日には在日コリアン生活センター・エルファへの襲撃、3月9日には朝鮮総聯京都府本部がある朝鮮会館への襲撃など、京都において在日朝鮮人への直接的な襲撃をくり返してきました。

 「民族差別・外国人排斥に反対し、多民族共生社会をつくりだそう朝鮮学校への攻撃をゆるさない」という共同アピールへの賛同は、すでに個人・団体をあわせて1000を越えてきています。この力を結集し、3月28日には在特会らを圧倒するような広範な参加で集会とデモを成功させていきたいと願っています。また、高校無償化制度からの朝鮮学校の排除というあからさまな民族差別、憲法違反の措置をとろうとする動きが引きつづくなかで、3月28日の集会・デモでは高校無償化制度からの朝鮮学校の排除を許さないということをあわせて訴えていきたいと思っています。関西以外の個人・団体には無理をお願いできませんが、一人でも多くの方に3月28日の集会へのご参加をお願いしたいと思います。また、5月20日を最終集約とする共同アピールへの賛同、3月28日の集会への参加を友人やともにさまざまな社会運動に取り組んでいる仲間の皆さんに、ぜひ呼びかけてください。


++++++++++++++++++++++++++++

■■■■■■■■■■■3・28集会への参加のお願い■■■■■■■■■■■

 昨年12月4日の在特会らによる朝鮮学校襲撃事件は、大きな社会的衝撃を与
えました。これに対して、朝鮮学校への襲撃に抗議する12月22日の緊急集会
が600人の結集で成功し、京都弁護士会会長声明などいくつもの声明がだされ
ました。しかし、在特会は1月14日に朝鮮学校にデモをしかけ、これからも学
校への攻撃を続けると予告しています。
 

 また、2月10日には、京都弁護士会に抗議するとしておしかけました。
 
 
 このもとで、朝鮮学校とその子どもたち・保護者は、またいつ襲われるかわか
らないという緊張した状態を強いられ続けています。いま求められていることは、
在特会らによる朝鮮学校への攻撃を許さない!という声を大きく広げていき、彼
らを社会的に包囲・孤立化させ、朝鮮学校をかんたんには攻撃できないような状
況をつくりだしていくことにあると思います。そして、民族差別・外国人排斥に
反対し、真の多民族共生社会をつくりだしていくことを広く訴えていくことにあ
ると思います。


 このようななかで、京都の16人の弁護士・知識人・宗教者などの呼びかけによ
って、「民族差別・外国人排斥に反対し、多民族共生社会をつくりだそう 朝鮮
学校への攻撃をゆるさない」という共同アピール運動がはじまりました(添付文
書)。京都から発信し、いま関西・全国へとこの運動が広がっていこうとしてい
ます。できるだけ多くの個人・団体の賛同をお願いします。
 

 そして、この共同アピールへの賛同をさらに拡大していくために、ぜひご協力
をお願いします。家族・友人に伝えていただき、さまざまな社会運動にともに取
り組む仲間に伝えていただき、在特会らを圧倒するような大きな社会的なアピー
ルとしていければと願っています。


 また、この共同アピール運動の第一次の集約点という意味も含めて、
3月28日(日)午後2時から京都の円山公園野外音楽堂において、

 「民族差別・外国人排斥に反対し、多民族共生社会をつくりだそう!
               朝鮮学校への攻撃をゆるさない!3・28集会」
                       (主催・同集会実行委員会)

が開催されます。


集会のあとには、デモも予定されています。京都のみならず関西各府県からの広
範な個人・団体の結集を実現し、私たちの思いを広く市民に訴え、また全国に発
信していきたいと思います。急ぎご検討いただき、ともにこの集会を成功させて
いければと願っています。

■【3・28集会】

名称 民族差別・外国人排斥に反対し、多民族共生社会をつくりだそう
         朝鮮学校への攻撃をゆるさない!3・28集会

●日時 2010年3月28日(日)午後2時開始  集会終了後デモ

●会場 京都市円山公園野外音楽堂

      市バス 祇園下車徒歩5分 京阪 祇園四条駅下車徒歩15分

●参加費無料(会場カンパのお願いあり)

●主催 3・28集会実行委員会

●連絡先   問い合わせ

  電話 075−771−5418

  FAX 0774−44−3102

  メール kyodo20100328@yahoo.co.jp


■■■■■■■■■■■共同アピールへの賛同のお願い■■■■■■■■■■

      (いちばん後の、賛同フォームをご活用ください)


 昨年12月4日午後、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)などが、予
告もなしに徒党を組んで京都朝鮮第一初級学校を襲撃しました。彼らは、朝鮮学
校が学校前の勧進橋児童公園を「不法占拠」していると言いがかりをつけ、公園
にあった朝鮮学校の備品を暴力的に撤去・破壊し、学校の門前におしかけました。
そして、大音量のマイクを使って、学校の門前から1時間にわたって在日朝鮮人
朝鮮学校を口をきわめて罵倒し、学校内におし入ろうとまでしたのです


私たちは、このような襲撃事件に対して、昨年12月22日に「朝鮮学校への攻
撃を許さない!12・22緊急集会」を開催し、600人の日本人・在日朝鮮人
の仲間が参加しました。


しかし、在特会は今年の1月14日に朝鮮学校前の公園で集会をおこない、学校
にデモをしかけようとしました。そして、これからも朝鮮学校への攻撃を続ける
と予告しています。第一初級学校では、毎日教職員が警戒態勢をとり、保護者が
子どもたちを送り迎えし、警察が校門前や通学路を警備するという緊迫した状況
がつづいています。


このような事態に対して、私たちは在特会などによる朝鮮学校への攻撃を二度と
許さないために、そして民族差別と外国人排斥に反対し、多民族共生社会をつく
りだしていくために、別紙の共同アピールへのできるだけ多くの個人・団体の賛
同をお願いしたいと思います。


12月4日の襲撃事件が伝わるにつれて、多くの日本人が事態を憂慮してきまし
た。いま求められていることは、できるだけ多くの個人や団体が「朝鮮学校への
攻撃を許さない」という声をあげ、在特会などが二度と朝鮮学校を攻撃できない
ような社会的状況をつくりだしていくことにあります。


すなわち、これ以上朝鮮学校への攻撃を続ければ、ますます社会的に非難をあび、
孤立していくことを彼らにつきつけていくことです。そして、民族差別・外国人
排斥に反対し、真の多民族共生社会をつくりだしていきたいという共通の願いを
広く訴えていくことにあります。どうかご協力をお願いします。




●(1) 共同アピールへの賛同の第一次集約日 2010年3月20日(土)
                  公表日  3月28日(日)

●(2) 送付先

      ■メール kyodo20100328@yahoo.co.jp
 
      ■FAX  0774−44−3102

      ■郵送  

        〒606−8313 

        京都市左京区吉田中大路町6 末本方

                共同アピール運動事務局

●(3) 

個人についてはお名前と肩書き、団体については団体名のみを公表します。

団体については、支部・分会なども含めて賛同をお願いします。氏名、肩書き、
団体名のそれぞれについて「公表可」か「不可」かを明記してください。

●(4) 共同アピール運動についての問い合わせ先  

  共同アピール運動事務局 電話075−771−5418



サロン吉田山
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民族学校を考える
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mingakko ← 民族学校に関するデータ多数!





■■■■■■ 返信用フォーム(返信される際にご活用ください)■■■■■■■



共同アピールに賛同します 

 【注】( )内に○をつけていただき、( )内への記入をお願いします



●個人
    お名前(          ) ふりがな(        )
        
        公表可(  ) 不可(  )



    肩書き(あれば)(         )
    
        公表可(  ) 不可(  )



●団体 
    団体名  (          )
    
        公表可(  ) 不可(  )



●連絡先 ご住所 (                         )
           

   電話番号(          ) FAX番号(        )
                     

   メール  ( )
                                    
   
■送付先

      ■メール kyodo20100328@yahoo.co.jp