教師の権力性

2009-12-04尼崎夜中学校見学

 今日は、夜間中学の全国大会の1日目。

 これは、年に1度ある夜間中学の研究大会で、全国の夜間中学、自主夜間中学、識字教室の教師や生徒が集う。今年で55回目の歴史ある大会だ。

 私が、夜間中学の研究をはじめて、この大会が4回あった。もう4年も経ったんだ…早いなあ…、と黄昏れてみたり…。参加したのは、今回が2回目。しかも、神戸であったので、ゼミもお休みして参加。

 神戸で大変お世話になっている先生が、この大会にめちゃくちゃ尽力されていて、神戸の夜間中学60年の歴史のパネルなんかは、私もお手伝いさせてもらい、というかその周辺の人総動員てな感じで作成した。その先生が、数年かけて収集された資料は、かなり貴重なものである。今回だけの展示では、もったいないなーと思う。

 生活体験発表では、神戸の在日2世の男性が原稿見ずに話されていた。私もよく知っている方だったが、普段は無口なので、とても感情豊かで流暢な語り口には、とても胸が打たれた。「ハルモニが頑張ってるんやったら、わしも頑張らな」と、勉強だけでなく、みんなが気づかない掃除なんかもコツコツされているのだそうだ。

 まあ、大会の雰囲気は、相変わらずお堅い感じで苦手だが、午後からの分科会になると少し和んだ感じに。私は「在日朝鮮人教育」に参加した。東京と関西の対立(?)になりやすい分科会である。東京の夜間中学の在日朝鮮人生徒が何故減っているのか、具体的な取り組みはどうなっているのか、本名で通っているのか(最近はないかな)など。同じこと繰り返していても仕方ないと思いつつ、実際に参加すると、んー確かに…と思わされる…。

 大阪の教師の発表は、興味深かった。大阪は、在日朝鮮人教育運動の基盤があるから、比べられないが。大阪のある夜間中学では、カリキュラムや要綱も独自のものがある。単に日本語の読み書きだけではない教育を、常々模索しようとしているようだ。その一つの実践として、綴り方教育からヒントを得て、生徒自ら語りかけていくような作文を書かせている。そういう実践は、どこでもやっていると思うが、ここでは教師も自ら作文を書いているという事実は、かなり重要なポイントだと思う。分科会中は、取り立てて評価はされなかったが。

既に識字者であり、しかも教師という立場の者が、「作文を書け」と言う抑圧性は、意外に振り返られない。「生徒が自らの歴史を語れるように」と、一見良心的にみえるが、生徒たちは何も語れないのだ、何も分からないのだ、とその主体を矮小化した上で、あるべき生徒像を設定し誘導しいていくという歪な関係がそこにある気がする。もちろん、この実践でどの程度意識されているかは分からないが、「じゃあおまえはどうなんだ?」という声に応える形で、教師も作文を書くという態度は、そのような権力関係を少しでも乗り越えようという試みではなかったのか。そこまでは報告されていないけど…深読みかしら…。

 実に、持ってしまった教師という権力性を、いかに意識して、いかに乗り越え、いかに棄てれるのか、これは最近の私の大きな課題である。もちろん、教師という一要素だけではない。そこに、日本人や男性の諸要素も入ってくる。難しいが、自分も現場で体現しつつ、いろんな事例をみてみようと思う。


 最後は、学校見学会。私は、尼崎の夜間中学へ。この学校は、2回目であったが、90歳の宮古島出身のおばあちゃんが、元気そうで嬉しかった。あと、在日の教師が赴任され、朝鮮語の課外授業が今年から出来たと聞いた。

 授業の中で、一つ印象的だったので、忘れないうちにメモしておく。在日のハルモニが、「周り」という単語を使って短文を作る問題で、

 私の周りに気づかないものがたくさんあります。

 うーん、深い…。


 
 明日は、二日目〜。





※写真:画像悪いけど、一緒にラジオ体操しました。