12・22集会〜いつかの対話のために

 以前にお知らせしていた12月22日の集会(前回の記事「感謝される「日本人」」参照、併せて「私の「怒り」とは?」も参考に)の報告を書かねばと思いつつ、年末は連夜忘年会に追われ(…情けない理由)、年明けになってしまった…。すみません…。

 もう既に多方面の報告によりご存知の方も多いと思うが、600人以上の参加者が集い、参加者の想いがこもった集会になりました。本当にありがとうございました。
 集会の報告・内容は、「朝鮮学校を支える会京滋」WEBページにおける「京都朝鮮第一初級学校襲撃事件 報告集」をご覧下さい。事件の概要、集会の様子だけでなく、連帯メッセージやアピール文もまとめられています。

 集会の内容自体は、上記のサイトで報告されているので、私の印象に残ったこと、考えたことだけでも記録しておこうと思う。


 途中から参加したのだが、会場の周りは、かなり物々しく警察が警備していた。どっちを監視しているのですか…ちょっとやりすぎ…と思ったが、後で関係者に聞いたところによると、あの一件で強く抗議をした「効果」であるとのこと。警察の扱い方は、非常に難しい…。

 会場内は、配布資料も既に足りず、満席で入れない人まで続出している状態だった。私は、立ち見で、集会を見守った。参加者ひとりひとりの感情で熱気がすごかった。

 最初に、京都朝鮮第一初級学校60周年記念に自主制作された「ウリエハッキョ」というドキュメンタリーが流され、卒業生たちが活躍する姿や「ウリハッキョ(私たちの学校)」に対するメッセージが伝えられる。民族教育が、当事者にとってどういうものなのか、その想いに寄り添おうという主催者の意図が伝わってきた(って、ちょっと他人行儀?)。

 次に、校長先生からの報告。穏やかな優しいあの先生が、心底怒りに震えている。それでも冷静でいようとする姿に、我を問われる思いだ。
 校長先生からは、刑事告訴をすることが新たに伝えられた。

 アボジ会・オモニ会からのアピールでも、その姿は同様だ。
 アボジの言葉に胸が詰まった。

「子どもを日本の学校に転校させる親も出てくるかもしれない。だけど、これからも普通に学校に通わします。そこまでしてやるのは、学校を守る必要があるからです。」

 保護者の強い想いと、その一方で、日本の学校なら絶対許さないだろうし、対策も強化するだろう日本社会の排外主義的な態度を改めて実感した。

 連帯メッセージでは、代表して、同志社大学の板垣竜太氏のコメントが紹介された。とても素晴らしいメッセージだったので、引用させていただく。

 在外研究でボストンに来ている関係で、本日の集会に参加できませんが、いてもたってもいられず、メッセージを送らせていただきました。

 在特会らによる攻撃の様子をビデオ、メール、電話を通じて知り、身が震えるような憤りを感じました。真っ昼間に公然とレイシスト的な集団行動をくり広げるかれらの言動は、明らかに一線を越えたものがありました。これを許せば、次には何があるか分かりません。歴史が私たちに教えてくれるのは、こうした突出した動きを許容することが、ファシズムレイシズムを蔓延させてきたということです。決して許すべきではありません。

 かれらが「特権」とよんでいる公園については、ただでさえ道路工事にともなって、利用が困難な状態においこまれてきました。そんな状況で、かろうじて確保してきた、ほんのちっぽけな空間ですら、かれらは「特権」だとして奪い去ろうというのです。

 かれらの言動があからさまにひどいので、多くの日本人は「こいつらとわれわれは違う」と思うでしょう。ですが、レイシスト的な言動さえしなければ、自動的にレイシズムへの荷担から免れるという話にはなりません。「ひどい」と思うだけで何もしなければ、レイシズムと暗黙の共犯関係を結ぶことになります。

 私は、これが単にごく一部の特殊な連中の動きだとは思っていません。運動場が確保され、国庫からの助成が得られるような小学校に転換しようとすれば、とたんに民族教育が不可能になるような、そんな日本の制度的な制約のなかで起きていることです。また、人種差別撤廃法が存在しない国で起きていることです。マスメディアが「北朝鮮」バッシングを煽る状況で起きていることです。ですから、今回の事件を一部の輩の問題としてだけ片付けたとすれば、そうした、より大きな問題が見えなくなってしまいます。むしろ、今回の事件は、そうした構造的問題を問い直す機会にすべきだと思います。

 かつてフランスで移民排斥を声高に主張する新右翼が台頭してきたとき、それに反対する市民団体が掲げた有名なスローガンがあります。「私の友人に手を出すな!」非常に簡明で力強いことばです。ただ、「友人」ということばは、単に仲がよいとか、同じ国に住んでいるという程度の意味で理解してはならないと私は思います。植民地支配の時代から続くレイシズムの構造に立ち向かって、はじめて、かろうじて発することのできる言葉ではないかと思います。そのような意味をこめて、最後に申します。

 私の友人に手を出すな!


※「朝鮮学校を支える会京・滋」HP:
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mingakko/sasaerukai091222mese.htm

 「私の友人に手を出すな!」

 実際、このスローガンを言葉にできる「日本人」はどれだけいるのだろうか…。とても素晴らしいのに、私はやっぱりまだこの言葉を口にすることができないのではないか…。
 そういえば、以前の記事に、「朝鮮人を見下すな!」と言われた。発せられた文脈・認識は異なるのに、上記の言葉と酷似している。まだ返信できていないが、コメント主さんの主張は受け入れられないのだけど、きっと私たちは隣り合わせのところに立っているんだろうな、と思う。本当に微妙な言葉。
 あとこれは余談だけど、ある人と話していて、ハっとした。「どっかで聞いたことあるな〜、ああ、「俺の女に手を出すな!」(笑)」と話していて、なるほど、かなりマッチョなスローガンだ…と(苦笑)

 日本人側からのアピールでは、朝鮮学校あるいは今回の事件に関わってきた団体が数人コメントした。「私にとっての朝鮮学校」がテーマだったっけ?と思えるほど、それぞれ想い想いの言葉を投げかけていた。
 恥ずかしながら、私もアピールをさせていただいた。その前に、某イベントでのアピールで、号泣してしまったので、めっちゃ緊張してた…。
 そのアピール主体のFACE projectが、声明文も出したので、引用する。「支える会」WEBでもまだアップされていなかったので。

<私たちの中にある排外主義を克服するために>

私たちは、朝鮮学校と出会い交流してきた大学生のネットワークです。学部や院で学んでいるもの、いまは卒業してそれぞれの生活を送っているものなどさまざまですが、みんな学生時代に京都と滋賀の朝鮮学校を訪問させていただきました。
訪問のきっかけや思いはそれぞれ違いますが、初めて朝鮮学校の門をくぐった私たちは、学校の先生から「ありのままを何でも見て、思ったことは何でも聞いてください」とすすめられ、歓迎されたことを喜び、心を通わす機会を得ました。そうやって朝鮮学校の姿を知ることができたことは、とてもありがたく、貴重な経験になっています。

 ところが、2009年12月4日(金)、京都朝鮮第一初級学校に押しかけてきたものたちが、偏見とウソ、侮辱と差別にあふれる言葉を大音量でまきちらし、朝鮮学校の生徒・先生・親たちをおどかし、追い出そうとする暴挙をはたらきました。泣き出す子どもたちを守るため、学校の門を固く閉じた先生方の気持ちを想うとき、そして嫌な言葉を言われつづけて怒りや恐怖でいっぱいになった学校のみなさんの気持ちを想像するとき、私たちは、怒り、悔しさ、恥ずかしさ、情けなさが入り混じった複雑な気持ちになります。

 この暴挙をはたらいたものたちは、今日の日本社会の風潮のなかで出てきたものです。さらに同様の行為をはたらくものたちを増やそうとさえ意図しています。排外主義だとして批判されるそれらの暴力は、多かれ少なかれ私たちの中にあるものではないでしょうか。例えば、法体系そのものが差別的であるにも関わらず無意識に追従してしまっていたり、歴史や民族教育に対して無関心のままでいることは、排外主義につながっていきます。
 今回の事件は、それを克服できていない私たちの弱さを映し出す「鏡」でもあることを、私たちは深く反省しています。どんなに沈痛な思いを抱いたとしても、私たちは忘却や沈黙によって加害者の立場に立ちこそすれ、被害者の立場に立つことはないのです。日本社会において自分たちの置かれている状況を認識するのに、これ以上決定的なことはありません。

 植民地支配によって日本が奪ってきた朝鮮の言葉や文化を取り戻そうとはじめられた民族教育。戦後64年が過ぎても、朝鮮学校一条校と同等に扱わないことで日本政府は加害責任を負いつづけています。
 子どもたちが、自分のルーツを知り、生きていくための知恵と力を養っていくための民族教育は、世界中のどこで学ぼうと、どの民族であろうと保障されなければなりません。日本政府の加害責任を隠しながら、子どもたちに当たり前に保障される教育権まで否定しようとする動きに対して、日本社会が正面からNO!と言える風潮をつくるために、私たちは力をあわせていきます。

 私たちの中にある排外主義を克服するために。
 朝鮮学校に通う子どもたちの笑顔が絶えない日本社会をつくるために。


2009年12月22日 FACE project
(一緒に行動してくれる人 募集! face_project2007@yahoo.co.jp)


※「FACE project」ブログ
http://blog.goo.ne.jp/face-project/e/a6355a92a82202d3b665f5068fe06cf8

 糾弾口調のアピール文が多い中で、梶村秀樹風?で、FACEの目指す「顔と顔の見える関係」というモットーが表現できていて、ちょっと気に入っている。


 会場入り口には、「在特会関係者や集会の趣旨に反対する人の参加をお断りします」などの掲示があったが、私も複雑な気持ちになった。先述した、警察の物々しさとも併せて、これは本当に難しい問題。こちら側が結局同じように誰かを排外してしまわないか、公権力に手放しで頼っていいのか…。しかし、今回、保護者や子どもなど当事者全てが、この集会に参加できなかったことも事実だ。もしかしたら、また…という不安は絶対に払拭できない。
 だから、「在特会関係者や集会の趣旨に反対する人」と対話できる風潮を、私たちはつくっていかなければならない。一緒に主催していた方が、集会で罵倒する声があがらず安心する一方で、むしろあの集会が、彼らの目にふれてほしかったともいう。本来の集会の意味は、まさにそこにあったはずなのに。

 以下のブログもとても考えさせられ、参考になる。
・hippieさん「【お願い】日本の左翼や社会運動の問題点/不十分点を指摘するために、朝鮮学校在特会が押し掛けた事件をネタに使うのをやめてもらうことはできないでしょうか」http://d.hatena.ne.jp/hippie/20091224/p1


 集会後、さまざまなメディアが取り上げた。東京新聞が先立って取り上げ、「在特会」に抗議を受けているが、共同通信もかなり核心迫った記事になっている。

(※東奧日報 12月22日付 http://bbs11.aimix-z.com/gbbsimg/zerogt4/83.jpg )
 
 核心評論「外国人への『憎悪犯罪』」 差別あおる言動許すな 社会が認識共有を

 雇用情勢が悪化、貧困問題が深刻化の一途をたどるなか、自身の不安や社会への不満を在日外国人への攻撃に向ける。人種や民族を理由とした差別が、悪びれることなく、不穏な形で公然化しつつあることを知らされる事件があった。
 今月4日、京都市の朝鮮第一初級学校前に「在日特権を許さない市民の会」(在特会)のメンバー約10人が拡声器を持って現れ、児童約170人がいた校内に向けて「スパイの子ども」「朝鮮学校は日本から出て行け」などと騒いだのだ。
 学校側が「ここは学校です」と制止すると「こんなものは学校でない」「キムチ臭いねん」などと約一時間、叫び続けた。怖がって泣きだす児童も出て、校内はパニック状態になったという。
 「極左思想の排除」や「外国人への参政権付与反対」を掲げる在特会桜井誠会長は、校門前の公園に学校がサッカーゴールや朝礼台を置くなど「不法占拠していたことへの抗議行動」とし、学校が撤去に応じなかったため朝礼台を引き渡すなど実力行使をしたと話す。しかし、学校が長年、体育などで公園を利用していることは京都市も把握していた。最近になって市は「利用ルールを作ることが必要」と学校側に要請。学校は来年1月中に備品を移動し、住民と協議の場を持とうとしていた矢先だった。

 在特会の行動は朝鮮学校を標的とした悪質な嫌がらせとしか思えない。保護者の一人は「これまで日本に生きてきて、これほどの侮辱を受けたことはない」と憤りをメールにつづっている。
 そもそも在日韓国・朝鮮人特別永住者が日本人より優遇されている「特権」などない。むしろ、就職や結婚などをめぐる隠然とした差別が日本には存在し続けている。
 在日外国人に対する差別や偏見に満ちた言葉はネットの巨大掲示板2ちゃんねる」などにもさかんに書き込まれている。在日本朝鮮人総連合会朝鮮総連)によると、チマ・チョゴリを着た女生徒が路上で罵声(ばせい)を浴びるなど日本人拉致問題を理由とした在日韓国・朝鮮人に対する嫌がらせは近年、増える傾向にあるという。
 カナダ、ドイツなどでは人種・民族などをめぐる差別をあおる言葉を公然と口にすれば「憎悪犯罪」として刑事罰の対象になる。米国でもオバマ政権成立後、法規制は強化され、同性愛者への差別も憎悪犯罪に加える法改正が10月に行われた。
 日本は国連総会の採択から30年後の1995年にようやく人種差別撤廃条約の加盟国となったが、差別を禁じる国内法を作る項目については加盟の際に留保した。このため、日本では「憎悪犯罪」を直接的に取り締まる法はないが、被害者の恐怖感、心理的打撃は大きい。「差別的な言葉を浴びせたり、差別をあおる行為は犯罪に等しい」という認識を日本社会は共有すべきだ。(共同通信編集委員 石山永一郎)


・12月23日、毎日放送が、「VOICE」で報道(動画は削除されました)。

そのほか、共同通信(12月18日付)「日刊ベリタ」(12月22日付)京都新聞(12月23日付)、朝日新聞(12月23日付)などが報道している。

また、集会以前から、韓国でもたくさん報道されている。以下、友人が整理してくれたリストをもとに、新しく追加もした。

・「統一ニュース」(12月14日付12月21日付
「オーマイニュース」(12月18日付)
「ハンギョレ」(12月19日付)
・「聨合ニュース」(12月18日付2009年12月29日付
「ソウル文化トゥデイ」(12月20日付)
NEVERニュース(2009年12月29日付)

以上のほか、韓国三大新聞の一つ「東亜日報」が新たに記事を書いた。

ネット動画ニュース・YTNでは、私たちが学校訪問したときのことも配信。
「일본 우익 단체 기승...동포사회 불안 증폭」(12月26日付)


さらに、動画や保護者の声を英語訳をしてくれた方がおられ、海外でも広く伝わっている。

「Japanese right wing assaults Korean school」
「A Korean father residing in Japan asks Japanese societies to consider : What a society with the good sense would be like 良識ある社会とはどんなものか考えて欲しい」

 2chでは、「在特会」のやり方に問題があるとして、非難の書き込みも増えているようだ。

 一方、「在特会」は、自身のHPで、

12月22日京都会館での対策会議は、我々は武士の情けで「作戦会議位はさしてやろう!」という事で行動を起こさなかった。しかし、予想通りその集会の内容は、己の悪事は反省もせず公園内に不法に私物を設置する事も当然の権利のように主張している。その上、我々の事を「憎悪犯罪」と罵った!もう、堪忍袋の緒が切れた!

 とし、1月16日に、関連の企画への妨害予告を掲示している。

 集会をし、メディアにも取り上げられたからといって、これで安心してはいけない。これからが大事。具体的長期的で、主体的な行動が、つくづく求められていると思う。

 「怒り」ではなく、向き合い、「抗議」ではなく、対話を。