「セクシャルマイノリ茶」(その2)

私が出演させてもらったネットラジオ番組の第2弾です。

セクマイをテーマに、月に2回配信しているネットラジオです。

前回は、私のお話メインで出演させていただきました。

前回分は、残念ながらもう聴けません。

今回、私はアシスタント的な。

『セクシャルマイノリ茶tea』 第19回目

http://iki.fm
(本番組は【趣味・その他】のカテゴリーの中にあります)

ゲスト:みき、キシマリ
テーマ:マイノリティの中のマイノリティ②
ココで一言:この寒い中、お父さんがTシャツ一枚で帰ってきたとき


やっぱり、恥ずかしい…。
自分のメインが撮り終ったことをいいことに、声を発そうとしてません(笑)

でも、男性特権については、もうちょい言っていかななーと思います。

「セクシュアルマイノリ茶」

 友人のやっているネットラジオ「林もやしの、セクシュアルマイノリ茶」という番組に出演しました!

 セクシュアルマイノリティをテーマに、月2回を配信されていている番組です。

 友人3人で収録に参加し、連続3本撮りでした。前回分は、私が宣伝活動を怠っていたため、残念ながらもう聴くことができないのです・・・申し訳ない!今回分は、あと2週間弱聴くことができます!早めに聴いてね!

 とっても楽しめる番組なので、是非気軽に聴いてみてください♪♪

 

「林もやしの、セクシュアルマイノリ茶」
http://iki.fm

♪今回

ゲスト:みき、マーティ
テーマ:マイノリティの中のマイノリティ
ココで一言:この寒い中、お父さんがTシャツ一枚で帰ってきたとき


 何か恥ずかしいですね。

 セクマイと民族という観点から話したので、この記事は、「クィア」と「日本人」にカテゴライズさせてもらいました。自分の言いたいことが、半分も言えなかった(泣)

 
 次回も出演しますー♪お楽しみにー♪

「扉をたたく人」

 年末・年始に、久しぶりにたくさん映画を観たので、その一つ「扉をたたく人」の紹介をする。

扉をたたく人 [DVD]

扉をたたく人 [DVD]

 詳細は、「扉をたたく人」公式HPを。


※あらすじ(ネタバレ注意!)

 妻を亡くして以来、全てに心閉ざしてしまった大学教授・ウォルター。
 ある日、同僚の代理で学会発表をするために、ニューヨークにある別宅を訪れた。すると、そこには見知らぬ移民のカップルが、住んでいた。シリア出身のタレクと、その恋人のセネガル出身のゼイナブは、詐欺にひっかかっていたことに気づき、警察沙汰にはしないでほしいと懇願し、部屋から出ていく。しかし、ウォルターは、行き場のない二人に、しばらく部屋をシェアするよう計らった。
 気さくでオープンなタレクは、ウォルターにジェンベを教える。ジェンベを通して、ウォルターと友情を深めていく。何に対しても情熱を失っていたウォルターが、ジェンベに夢中になり、セントラルパークでの合同演奏?でその高揚感を味わう。
 しかし、その帰り、地下鉄で無賃乗車を疑われ、タレクは警察に拘束される。ウォルターが証言をしても、誤解は晴れず、取り合ってもらえない。
 タレクは、入国管理局の収容所へ移送され、ウォルターは彼を救うために、弁護士を雇い、毎日収容施設に面会に行く。
 そこに、タレクの母を名乗るモーナが現れる。息子を救うために、ニューヨークにしばらく滞在するというので、ウォルターは彼女を別宅に泊まらせることになった。ウォルターは、モーナに淡い恋心を抱く。


 原題「the Visitor」は、心を閉ざしたウォルターが出会った、移民のタレクとゼイナブ、そしてモーナたちのこと。その訪問者たちは、移民に不寛容なアメリカの国境という扉をたたき、ウォルターの心の扉をたいた。邦題の「扉をたたく人」は、見事なネーミングだ。

 この物語は、2001年の9・11以降、移民希望者や不法滞在者に対し、頑なに扉を閉ざし厳しく措置を取るようになった、アメリカの移民政策の現状を映しだし、アンチテーゼを唱えている。また、ウォルターは、閉鎖的なアメリカ社会の象徴であり、彼の心の変化は、そうした社会の不協和音を訴え、そして希望を託しているのではないか。最終的に、タレクは移送されてしまい、ウォルターが、地下鉄で奏でるジェンベの怒りのリズムは、観る者に希望と感動を与える。

 しかし、ウォルターは、”扉を開く人”としてだけ捉えていいのか…という疑問が残る。常に”扉を開く人”でしかないのだとしたら、それは真に友情と言えるだろうか?対等な関係だとは言えないのではないだろうか?

 タレクは、人懐っこくてオープンな性格だ。そんなタレクに、恋人ゼイナブは、「息が詰まるのよ」と呆れる姿が描かれる。映画の冒頭で、彼女がお風呂に入っているときに、遭遇してしまったことも一因であるが、彼女は最後までウォルターに対し真正面から笑顔を見せない。
 タレクが拘束されたとき、ゼイナブは、ひどく動揺する。彼女も、アメリカに来たときに、収容施設に入っていたことを告白する。数ヶ月後、特別な措置で、女数人だけが出所でき、現在に至るという。タレクの解放が、非常に困難なことを突きつけるが、それは女に対して甘くて寛容なことを意味しない。移民を合理的に管理・監視することの結果だ。彼女が、”外”にいることの意味を、どう捉えるのか…そこまでの関心までは及んでいない。
 また、彼女は、肌が黒い。これは、タレクの母モーナが、彼女に会いに行ったときに、改めて強調される。遠目から、モーナは、「あれがそうなの?黒いわ。黒すぎるわ。」と呟く。タレクとの違いが、ジェンダーであり、人種であることが意識される。あるいは、ウォルターが向き合おうとしている人たちの間のさらなる差異でもある。しかし、物語は、この事実については、特に問題にしない。これは深読みかもしれないが、タレクが、どれだけオープンな人柄かを表現したかったのか…。

 一方、ゼイナブ以外の移民女性との関係では、モーナであるが、こちらはロマンスが介入する。妻が亡くなって以来の感情であり、友情深めたタレクの母親であるから、思い入れも強くなる。恋愛感情は、まるで二人の関係が対等であるかのように見えてしまうから、不思議である。移民女性とは、恋愛関係でないと近づけないし、力関係を曖昧にできないということだろうか。

 つまり、最初の問いに戻ると、なぜタレクをはじめとした移民が、”扉を開けてもらう人”としてだけ捉えられてしまうのかということ。ゼイナブの存在は、そのような欲望に対して拒否している。どれだけウォルターが、親切心をもたらしたとしても、彼女は感謝しない。タレクとは、違う。
 タレクも、一度は、ウォルターを突き放す。自分がどうやら移送されそうであることを察知し、気が気ではない中、ウォルターに「外に居る者には分からないだろ!」と八つ当たりする。これには、ウォルターも言葉を失う。そこまで言われなければ、二人の間の”断絶”に気づくことができないのだ。

 観客の多くが、ウォルターの良心に感動し、タレクのオープンさとモーナの恋心に癒されるだろう。しかし、ウォルターも観客も、それに甘んじてはならない。ウォルターは、「あれだけ善良な人間を!」と、最後に移送されたときに激怒する。その怒りは、やはり友情から生まれたものである。人間は、具体的な関係がないと、なかなか想像できないことは踏まえても、「善良」じゃない人間ならばどんな扱いをされてもよいと言うことにはならないし、そのようなシステムを支えているのはウォルター自身であるということを理解すべきだ。その「怒り」が、どこに向かわなければならないのか、観客はしっかりキャッチしなければならないだろう。


 この映画のキャッチや評判を読んで、(男同士の)友情や異文化交流云々とか、ゼイナブが無視されてたりとか、ちょっと気になったので、相当雑多な文章になってしまったがまとめてみた。
 このような思考の背景には、私が在日朝鮮人運動の中で、考えてきたことでもあり、日本社会に重ねてみる必要があると思う。

12・22集会〜いつかの対話のために

 以前にお知らせしていた12月22日の集会(前回の記事「感謝される「日本人」」参照、併せて「私の「怒り」とは?」も参考に)の報告を書かねばと思いつつ、年末は連夜忘年会に追われ(…情けない理由)、年明けになってしまった…。すみません…。

 もう既に多方面の報告によりご存知の方も多いと思うが、600人以上の参加者が集い、参加者の想いがこもった集会になりました。本当にありがとうございました。
 集会の報告・内容は、「朝鮮学校を支える会京滋」WEBページにおける「京都朝鮮第一初級学校襲撃事件 報告集」をご覧下さい。事件の概要、集会の様子だけでなく、連帯メッセージやアピール文もまとめられています。

 集会の内容自体は、上記のサイトで報告されているので、私の印象に残ったこと、考えたことだけでも記録しておこうと思う。


 途中から参加したのだが、会場の周りは、かなり物々しく警察が警備していた。どっちを監視しているのですか…ちょっとやりすぎ…と思ったが、後で関係者に聞いたところによると、あの一件で強く抗議をした「効果」であるとのこと。警察の扱い方は、非常に難しい…。

 会場内は、配布資料も既に足りず、満席で入れない人まで続出している状態だった。私は、立ち見で、集会を見守った。参加者ひとりひとりの感情で熱気がすごかった。

 最初に、京都朝鮮第一初級学校60周年記念に自主制作された「ウリエハッキョ」というドキュメンタリーが流され、卒業生たちが活躍する姿や「ウリハッキョ(私たちの学校)」に対するメッセージが伝えられる。民族教育が、当事者にとってどういうものなのか、その想いに寄り添おうという主催者の意図が伝わってきた(って、ちょっと他人行儀?)。

 次に、校長先生からの報告。穏やかな優しいあの先生が、心底怒りに震えている。それでも冷静でいようとする姿に、我を問われる思いだ。
 校長先生からは、刑事告訴をすることが新たに伝えられた。

 アボジ会・オモニ会からのアピールでも、その姿は同様だ。
 アボジの言葉に胸が詰まった。

「子どもを日本の学校に転校させる親も出てくるかもしれない。だけど、これからも普通に学校に通わします。そこまでしてやるのは、学校を守る必要があるからです。」

 保護者の強い想いと、その一方で、日本の学校なら絶対許さないだろうし、対策も強化するだろう日本社会の排外主義的な態度を改めて実感した。

 連帯メッセージでは、代表して、同志社大学の板垣竜太氏のコメントが紹介された。とても素晴らしいメッセージだったので、引用させていただく。

 在外研究でボストンに来ている関係で、本日の集会に参加できませんが、いてもたってもいられず、メッセージを送らせていただきました。

 在特会らによる攻撃の様子をビデオ、メール、電話を通じて知り、身が震えるような憤りを感じました。真っ昼間に公然とレイシスト的な集団行動をくり広げるかれらの言動は、明らかに一線を越えたものがありました。これを許せば、次には何があるか分かりません。歴史が私たちに教えてくれるのは、こうした突出した動きを許容することが、ファシズムレイシズムを蔓延させてきたということです。決して許すべきではありません。

 かれらが「特権」とよんでいる公園については、ただでさえ道路工事にともなって、利用が困難な状態においこまれてきました。そんな状況で、かろうじて確保してきた、ほんのちっぽけな空間ですら、かれらは「特権」だとして奪い去ろうというのです。

 かれらの言動があからさまにひどいので、多くの日本人は「こいつらとわれわれは違う」と思うでしょう。ですが、レイシスト的な言動さえしなければ、自動的にレイシズムへの荷担から免れるという話にはなりません。「ひどい」と思うだけで何もしなければ、レイシズムと暗黙の共犯関係を結ぶことになります。

 私は、これが単にごく一部の特殊な連中の動きだとは思っていません。運動場が確保され、国庫からの助成が得られるような小学校に転換しようとすれば、とたんに民族教育が不可能になるような、そんな日本の制度的な制約のなかで起きていることです。また、人種差別撤廃法が存在しない国で起きていることです。マスメディアが「北朝鮮」バッシングを煽る状況で起きていることです。ですから、今回の事件を一部の輩の問題としてだけ片付けたとすれば、そうした、より大きな問題が見えなくなってしまいます。むしろ、今回の事件は、そうした構造的問題を問い直す機会にすべきだと思います。

 かつてフランスで移民排斥を声高に主張する新右翼が台頭してきたとき、それに反対する市民団体が掲げた有名なスローガンがあります。「私の友人に手を出すな!」非常に簡明で力強いことばです。ただ、「友人」ということばは、単に仲がよいとか、同じ国に住んでいるという程度の意味で理解してはならないと私は思います。植民地支配の時代から続くレイシズムの構造に立ち向かって、はじめて、かろうじて発することのできる言葉ではないかと思います。そのような意味をこめて、最後に申します。

 私の友人に手を出すな!


※「朝鮮学校を支える会京・滋」HP:
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mingakko/sasaerukai091222mese.htm

 「私の友人に手を出すな!」

 実際、このスローガンを言葉にできる「日本人」はどれだけいるのだろうか…。とても素晴らしいのに、私はやっぱりまだこの言葉を口にすることができないのではないか…。
 そういえば、以前の記事に、「朝鮮人を見下すな!」と言われた。発せられた文脈・認識は異なるのに、上記の言葉と酷似している。まだ返信できていないが、コメント主さんの主張は受け入れられないのだけど、きっと私たちは隣り合わせのところに立っているんだろうな、と思う。本当に微妙な言葉。
 あとこれは余談だけど、ある人と話していて、ハっとした。「どっかで聞いたことあるな〜、ああ、「俺の女に手を出すな!」(笑)」と話していて、なるほど、かなりマッチョなスローガンだ…と(苦笑)

 日本人側からのアピールでは、朝鮮学校あるいは今回の事件に関わってきた団体が数人コメントした。「私にとっての朝鮮学校」がテーマだったっけ?と思えるほど、それぞれ想い想いの言葉を投げかけていた。
 恥ずかしながら、私もアピールをさせていただいた。その前に、某イベントでのアピールで、号泣してしまったので、めっちゃ緊張してた…。
 そのアピール主体のFACE projectが、声明文も出したので、引用する。「支える会」WEBでもまだアップされていなかったので。

<私たちの中にある排外主義を克服するために>

私たちは、朝鮮学校と出会い交流してきた大学生のネットワークです。学部や院で学んでいるもの、いまは卒業してそれぞれの生活を送っているものなどさまざまですが、みんな学生時代に京都と滋賀の朝鮮学校を訪問させていただきました。
訪問のきっかけや思いはそれぞれ違いますが、初めて朝鮮学校の門をくぐった私たちは、学校の先生から「ありのままを何でも見て、思ったことは何でも聞いてください」とすすめられ、歓迎されたことを喜び、心を通わす機会を得ました。そうやって朝鮮学校の姿を知ることができたことは、とてもありがたく、貴重な経験になっています。

 ところが、2009年12月4日(金)、京都朝鮮第一初級学校に押しかけてきたものたちが、偏見とウソ、侮辱と差別にあふれる言葉を大音量でまきちらし、朝鮮学校の生徒・先生・親たちをおどかし、追い出そうとする暴挙をはたらきました。泣き出す子どもたちを守るため、学校の門を固く閉じた先生方の気持ちを想うとき、そして嫌な言葉を言われつづけて怒りや恐怖でいっぱいになった学校のみなさんの気持ちを想像するとき、私たちは、怒り、悔しさ、恥ずかしさ、情けなさが入り混じった複雑な気持ちになります。

 この暴挙をはたらいたものたちは、今日の日本社会の風潮のなかで出てきたものです。さらに同様の行為をはたらくものたちを増やそうとさえ意図しています。排外主義だとして批判されるそれらの暴力は、多かれ少なかれ私たちの中にあるものではないでしょうか。例えば、法体系そのものが差別的であるにも関わらず無意識に追従してしまっていたり、歴史や民族教育に対して無関心のままでいることは、排外主義につながっていきます。
 今回の事件は、それを克服できていない私たちの弱さを映し出す「鏡」でもあることを、私たちは深く反省しています。どんなに沈痛な思いを抱いたとしても、私たちは忘却や沈黙によって加害者の立場に立ちこそすれ、被害者の立場に立つことはないのです。日本社会において自分たちの置かれている状況を認識するのに、これ以上決定的なことはありません。

 植民地支配によって日本が奪ってきた朝鮮の言葉や文化を取り戻そうとはじめられた民族教育。戦後64年が過ぎても、朝鮮学校一条校と同等に扱わないことで日本政府は加害責任を負いつづけています。
 子どもたちが、自分のルーツを知り、生きていくための知恵と力を養っていくための民族教育は、世界中のどこで学ぼうと、どの民族であろうと保障されなければなりません。日本政府の加害責任を隠しながら、子どもたちに当たり前に保障される教育権まで否定しようとする動きに対して、日本社会が正面からNO!と言える風潮をつくるために、私たちは力をあわせていきます。

 私たちの中にある排外主義を克服するために。
 朝鮮学校に通う子どもたちの笑顔が絶えない日本社会をつくるために。


2009年12月22日 FACE project
(一緒に行動してくれる人 募集! face_project2007@yahoo.co.jp)


※「FACE project」ブログ
http://blog.goo.ne.jp/face-project/e/a6355a92a82202d3b665f5068fe06cf8

 糾弾口調のアピール文が多い中で、梶村秀樹風?で、FACEの目指す「顔と顔の見える関係」というモットーが表現できていて、ちょっと気に入っている。


 会場入り口には、「在特会関係者や集会の趣旨に反対する人の参加をお断りします」などの掲示があったが、私も複雑な気持ちになった。先述した、警察の物々しさとも併せて、これは本当に難しい問題。こちら側が結局同じように誰かを排外してしまわないか、公権力に手放しで頼っていいのか…。しかし、今回、保護者や子どもなど当事者全てが、この集会に参加できなかったことも事実だ。もしかしたら、また…という不安は絶対に払拭できない。
 だから、「在特会関係者や集会の趣旨に反対する人」と対話できる風潮を、私たちはつくっていかなければならない。一緒に主催していた方が、集会で罵倒する声があがらず安心する一方で、むしろあの集会が、彼らの目にふれてほしかったともいう。本来の集会の意味は、まさにそこにあったはずなのに。

 以下のブログもとても考えさせられ、参考になる。
・hippieさん「【お願い】日本の左翼や社会運動の問題点/不十分点を指摘するために、朝鮮学校在特会が押し掛けた事件をネタに使うのをやめてもらうことはできないでしょうか」http://d.hatena.ne.jp/hippie/20091224/p1


 集会後、さまざまなメディアが取り上げた。東京新聞が先立って取り上げ、「在特会」に抗議を受けているが、共同通信もかなり核心迫った記事になっている。

(※東奧日報 12月22日付 http://bbs11.aimix-z.com/gbbsimg/zerogt4/83.jpg )
 
 核心評論「外国人への『憎悪犯罪』」 差別あおる言動許すな 社会が認識共有を

 雇用情勢が悪化、貧困問題が深刻化の一途をたどるなか、自身の不安や社会への不満を在日外国人への攻撃に向ける。人種や民族を理由とした差別が、悪びれることなく、不穏な形で公然化しつつあることを知らされる事件があった。
 今月4日、京都市の朝鮮第一初級学校前に「在日特権を許さない市民の会」(在特会)のメンバー約10人が拡声器を持って現れ、児童約170人がいた校内に向けて「スパイの子ども」「朝鮮学校は日本から出て行け」などと騒いだのだ。
 学校側が「ここは学校です」と制止すると「こんなものは学校でない」「キムチ臭いねん」などと約一時間、叫び続けた。怖がって泣きだす児童も出て、校内はパニック状態になったという。
 「極左思想の排除」や「外国人への参政権付与反対」を掲げる在特会桜井誠会長は、校門前の公園に学校がサッカーゴールや朝礼台を置くなど「不法占拠していたことへの抗議行動」とし、学校が撤去に応じなかったため朝礼台を引き渡すなど実力行使をしたと話す。しかし、学校が長年、体育などで公園を利用していることは京都市も把握していた。最近になって市は「利用ルールを作ることが必要」と学校側に要請。学校は来年1月中に備品を移動し、住民と協議の場を持とうとしていた矢先だった。

 在特会の行動は朝鮮学校を標的とした悪質な嫌がらせとしか思えない。保護者の一人は「これまで日本に生きてきて、これほどの侮辱を受けたことはない」と憤りをメールにつづっている。
 そもそも在日韓国・朝鮮人特別永住者が日本人より優遇されている「特権」などない。むしろ、就職や結婚などをめぐる隠然とした差別が日本には存在し続けている。
 在日外国人に対する差別や偏見に満ちた言葉はネットの巨大掲示板2ちゃんねる」などにもさかんに書き込まれている。在日本朝鮮人総連合会朝鮮総連)によると、チマ・チョゴリを着た女生徒が路上で罵声(ばせい)を浴びるなど日本人拉致問題を理由とした在日韓国・朝鮮人に対する嫌がらせは近年、増える傾向にあるという。
 カナダ、ドイツなどでは人種・民族などをめぐる差別をあおる言葉を公然と口にすれば「憎悪犯罪」として刑事罰の対象になる。米国でもオバマ政権成立後、法規制は強化され、同性愛者への差別も憎悪犯罪に加える法改正が10月に行われた。
 日本は国連総会の採択から30年後の1995年にようやく人種差別撤廃条約の加盟国となったが、差別を禁じる国内法を作る項目については加盟の際に留保した。このため、日本では「憎悪犯罪」を直接的に取り締まる法はないが、被害者の恐怖感、心理的打撃は大きい。「差別的な言葉を浴びせたり、差別をあおる行為は犯罪に等しい」という認識を日本社会は共有すべきだ。(共同通信編集委員 石山永一郎)


・12月23日、毎日放送が、「VOICE」で報道(動画は削除されました)。

そのほか、共同通信(12月18日付)「日刊ベリタ」(12月22日付)京都新聞(12月23日付)、朝日新聞(12月23日付)などが報道している。

また、集会以前から、韓国でもたくさん報道されている。以下、友人が整理してくれたリストをもとに、新しく追加もした。

・「統一ニュース」(12月14日付12月21日付
「オーマイニュース」(12月18日付)
「ハンギョレ」(12月19日付)
・「聨合ニュース」(12月18日付2009年12月29日付
「ソウル文化トゥデイ」(12月20日付)
NEVERニュース(2009年12月29日付)

以上のほか、韓国三大新聞の一つ「東亜日報」が新たに記事を書いた。

ネット動画ニュース・YTNでは、私たちが学校訪問したときのことも配信。
「일본 우익 단체 기승...동포사회 불안 증폭」(12月26日付)


さらに、動画や保護者の声を英語訳をしてくれた方がおられ、海外でも広く伝わっている。

「Japanese right wing assaults Korean school」
「A Korean father residing in Japan asks Japanese societies to consider : What a society with the good sense would be like 良識ある社会とはどんなものか考えて欲しい」

 2chでは、「在特会」のやり方に問題があるとして、非難の書き込みも増えているようだ。

 一方、「在特会」は、自身のHPで、

12月22日京都会館での対策会議は、我々は武士の情けで「作戦会議位はさしてやろう!」という事で行動を起こさなかった。しかし、予想通りその集会の内容は、己の悪事は反省もせず公園内に不法に私物を設置する事も当然の権利のように主張している。その上、我々の事を「憎悪犯罪」と罵った!もう、堪忍袋の緒が切れた!

 とし、1月16日に、関連の企画への妨害予告を掲示している。

 集会をし、メディアにも取り上げられたからといって、これで安心してはいけない。これからが大事。具体的長期的で、主体的な行動が、つくづく求められていると思う。

 「怒り」ではなく、向き合い、「抗議」ではなく、対話を。

あけまして、おめでとうございます。

「笑ってはいけない」を見ている間に、新年、明けました。

おめでとうございます。

昨年末、このブログを立ち上げたばかりですが、本当にお世話になりました。ここで、書くことも、読むことも、とても刺激になりました。

自分のことを綴っていこうと思っていましたが、なかなか語る言葉を持っていない、ということも気づきました。

昨年一年は、私にとって、試練も多かったけど、それ以上に得たものも大きかったです。

年内に書けなかったことも含めて、今年は、このブログも充実させていこうと思います。

今年もよろしくお願いいたします!

感謝される「日本人」


 先日の日記(「私の「怒り」とは?」)は、思いのほかたくさんの方に読んでいただいた。
 ある方に、身の危険があるかもしれないから、「削除しなさい」という忠告を受けたが、友人の応援もあって、批判も攻撃も引き受けようと決意した。そのおかげで、一晩でアクセス数が1000近くになったのは、ちょっとビビったけど、それだけの関心が集まっていることを実感した。
 ひっそりとブログを始めようと思っており、「発信」を目的にしないはずだったのに、染み付いた運動思考からなかなか抜けられないのね…。ブログの運営方法は、今後も揺れつつ、自分の責任はちゃんと引き受けていこうと思う。


 あれから、とってもとっても動きが鈍かったと反省と焦燥感もあって、手当たり次第声をかけて、京都朝鮮第一初級学校と京都朝鮮第三初級学校を訪問した。3日前の呼びかけに対して、当日は10人ほどのバラエティーに富んだ仲間が駆けつけてくれた。

 クリスマスツリーとメッセージカードのプレゼントをお渡しし、一言ずつ想いを伝え、先生方のお話や説明をお聞きした。ちょうど朝礼も始まったので、子どもたちの前でも挨拶し、あるメンバーは歌を熱唱した。子どもたちが、笑顔で迎えてくれたことが、嬉しかったし、こちらが勇気をもらってしまった。

 印象的であったのは、問題になっている公園が、すでに半分が高速道路建設のために利用できていないこと。来年からは、さらにその半分が使えなくなるらしい。代替の土地を要請するなど、行政との交渉が重ねられているが、なかなか聞き入れてもらえていない。そのような公園問題の経過など、私たちもしっかり把握しなければなと思った。



(写真:スピーカーを切断された後。)


 今回、第一以外も訪問したのは、事件当日に第二、第三、滋賀の子どもたちも行事で来ていたからだ。滋賀は、時間がなくて行けなかったが、せめて京都市内だけでも回ろうということになった。第二は、校長先生のご判断で、取り止めた。第三の校長先生を囲んで、お話をお聞きし、同じようにプレゼントをお渡しし、私たちもそれぞれ一言ずつメッセージを伝えた。子どもたちと交流はできなかったけど、校内放送でメッセージを伝えさせていただき、授業見学までさせていただいた。


(写真:全然関係ないけど、かわいかったから。こういうのもオモニが手作りしてる。)


 第一も第三も、お忙しい中、お時間を取っていただき、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。学校にとっては、こうして日本の方がお手紙や訪問で励ましてくれることが、支えになっていると言ってくれた。素直に嬉しかった。
 
 しかし、そんな「激励」なんてする立場にない。しかも、毎回訪問する際にも思うけれども、感謝されてしまうのだ。特に、今回は、そんな感謝されている自分が、めっちゃ気持ち悪かった。私は、感謝されに来たのか、と。そうやって安心しようとしていたのか。

  私は、差別なんてしませんよー。
  私は、良い人ですよー。
  私は、あの人たちとは違いますよー。
  私は、こんなにやって偉いでしょー。
  私は、一緒に闘いますよー。

 結局、私の「怒り」は、このようにしか表現できないのだろうか…。

 または、

  私は、恥ずかしいです。
  私は、悔しいです。
  私は、謝りたいです。

 何か違う。こうして、この自己嫌悪やストイックさをひけらかすことも、また気持ち悪いよね。この記事自体もそうだけど…。

 だからこそ、このような行動や集会だけで留まらない、長期的で具体的な取り組みが必要なのだろう。これまでに、何が変わっただろうか。変えようとしてきたのだろうか。具体的な問題解決と、「在特会」を許容している「一般」日本人に対して、働きかけることが大事。「在特会」は「敵」なんかじゃなく、私そのもの。この日訪問したメンバーは、少なくともそのようにシェアできたかなって思う。良かった。



 とりあえずは、12月22日の緊急集会。是非、来てください。一緒に何ができるか考えたいです。



###転送・転載大歓迎!!###

12月4日、「在特会」と称する排外主義者の一団が行なった、
京都朝鮮第一初級学校への攻撃に抗議し、
こうした攻撃を許してしまった日本社会の排外主義を問う集会を、
12月22日(火)の夕方に開催します。
多くのみなさまの参加を呼びかけます。
※下段には朝鮮学校の子どもたちへの激励の呼びかけを載せてあります。


  -----≪朝鮮学校への攻撃を許さない!12・22緊急集会≫-----
            ―日本社会の排外主義を問う―


【開催趣旨】
◆一団のおこない◆
12月4日、現在各地で排外主義を煽るデモや情宣を行ない、
市民運動などの集会を妨害してまわる「在特会」が、
京都朝鮮第一初級学校への襲撃を行ないました。
「公園を不法占拠している」という言いがかりをつけ、
拡声器で聞くに堪えない差別的な言葉をはき、
子どもたちを脅迫するという許しがたい行為です。
この日初級学校では、京都第一、第二、第三、
そして滋賀の初級学校の子どもたちが集まって交流会を行なっていました。
子どもたちは大音量で自分たちを侮辱する言葉を浴びせられ、
不安をつのらせ、泣き出す子どもまでいて、
交流会場はパニック状態になってしまいました。
これに対して、警備要請を受けて出動した警察官は、在特会を何ら規制しようとはせ
ず、好き放題にさせました。
私たちは在特会のこのような行ないを決して許しません。

◆日本社会全体の問題◆
同時に私たちは、この問題が一部の排外主義者の集団だけの問題ではなく、それを許
してしまった日本社会全体の問題であると考えます。今回の事件は、間違いなく現在
の日本社会の排外主義的な土壌の上で起こったものです。

 「いまこそ“日本社会の良識”を問うべきだ」

事件に遭遇された保護者の方のこの言葉を、
特に日本人は痛烈な反省をもって受け止めなければなりません。

◆集会へご参加を!◆
そこで私たちは、今回の事件に抗議し、日本社会の排外主義を問うため、以下の要項
で緊急の集会を開催することにしました。在特会は、1月や2月にも、再び朝鮮学校
攻撃すると予告しています。この集会を通して、在特会に抗議する声を大きくおし広
げていき、生徒たちを激励し、朝鮮学校jへの攻撃を二度と許さないたたかいをとも
に推進していきたいと思います。平日の開催ではありますが、できるだけ多くの方の
参加を呼びかけます!!

                                      • -
                • 要項--------
                                      • -

日時:12月22日(火) 19:00〜21:00(開場:18:30)

場所:京都会館 会議場
http://www.kyoto-ongeibun.jp/kyotokaikan/map.php
住所:京都市左京区岡崎最勝寺町13番地
TEL:075-771-6051(代)
【電車・バスでお越しの場合】
地下鉄東西線「東山」駅 下車 2号出入口より北へ徒歩約8分
京都市バス 5・32・46系統 「京都会館・美術館前」 下車すぐ
京都市バス 31・201・202・203・206系統 「東山二条」下車 東へ
徒歩約3分
【車でお越しの場合】
京都会館には駐車場はございませんので,岡崎公園市営地下駐車場か、みやこめっせ
駐車場をご利用ください。
(有料:乗用車1時間以内500円,以後30分ごとに200円)
岡崎公園市営地下駐車場(乗用車506台・バス28台)平日上限駐車料金1,300円
TEL:075−761−9617 ((財)京都市駐車場公社)
みやこめっせ地下駐車場(乗用車163台)平日上限駐車料金1,300円
TEL:075−762−2630 ((株)京都産業振興センター)

参加費:無料(会場カンパを要請します)

内容(予定):
朝鮮人側からのアピール
日本人側からのアピール
襲撃の様子を撮影した映像の上映
など

主催:朝鮮学校を支える会・京滋
問い合わせ:江原
075―752−1055(FAX)
mhsuemoto@mrg.biglobe.ne.jp(メール)


※襲撃の様子を撮影した映像です。
http://corea-k.net/date/000.wmv

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私の「怒り」とは?

※「在特会」のレポートや動画は、暴力的で差別的な行為・発言が含まれていて、やはり気分が悪くなりますので、お取り扱いには注意してください。そして、現段階で、「在特会」サイドのメディアを利用しなければならないことも、また悔しいのですが、お断りしておきます。 


2009年12月4日(金)13:00に、京都朝鮮第一初級学校に「在特会在日特権を許さない市民の会)」が押し寄せ、1時間の「抗議活動」をしていった。


 これに先立って、彼らは、京都朝鮮第一初級学校の隣の公園を、学校が「不法占拠」しているとして、視察にいった模様とどこかの役所に問い合わせにいった模様を公開している。以下、その動画。
京都朝鮮学校が児童公園を不法占拠【主権関西/在特会関西】


 その後、朝鮮総聯京都本部前での抗議活動において、「12月初旬」に朝鮮学校に抗議しにいくことが「忠告」された。以下、その動画。
(5/16)H21.11.21【関西支部】こちら京都朝鮮総連本部前!

 動画の限りでは、彼らはいつ来るのか、何を起こすか分からない、学校側も不安を抱えたまま日常を過ごすしかなかった。
 結局、私も何もできないもどかしさを抱えながら、とうとうその日がやってきてしまった。


 ○学校側が撮影した動画

 ○「在特会」のレポート

 ○youtubeで検索すると、一部始終が更新されていた。
(日記初稿の際は、全てのURLをアップしていたのですが、あまりにも学校関係者の肖像権が侵害されているものなので、youtubeにおける「在特会・関西支部」のページに飛ぶようにしました。)
12月4日京都児童公園を無断で校庭として使う朝鮮学校から奪還 1〜6


(この日の状況説明が不足していましたので、補足します。)
 京都朝鮮第一初級学校は、そもそもグランドがありません。それでも、子どもたちの保健体育を保障することは絶対に必要であり、だからこそ勧進橋公園において、学校の僅かな資材を持ち寄り確保してきたのです。京都市もそれを非公式にでも認めてきたはずです。因みに、京都市の高速道路の建設工事によって、それさえも奪われようとしています。

 当日、学校では、京都と滋賀全ての初級学校の生徒が集まって、交流会が持たれていたようです。そんな楽しいひと時の最中の出来事でした。生徒の中には、怖くて泣き出す子たちもいたそうです。

 私がこれを知ったのは、二日後の12月6日(日)。結局何も力添えできず、怒り、憤り、悔しさ、恥ずかしさ、いろんな感情がこみ上げてくる。絶対にこんなことを許してはならない。

 ただ、「在特会」を例外や特殊なものとして扱ったり、未熟さを嘲笑うことは、日本社会が内在している暴力や、日本人の責任を曖昧にしてしまう。そういう意味で、彼らは私の「鏡」だと思うのだ。

 学校関係者の方の言葉=訴えが、ずっと胸に突き刺さっている。

「子どもたちの心に影が出来、教育上大きなマイナスになるであろうこの件はだれが責任をとってくれるのですか?
 保護者たちの不安はどう取り除いたらいいのですか?」


 ほんとに酷い。子どもたちの心理的なショックや保護者の不安は、計り知れない。今後、二度と「在特会」が来ないようにすること、これに刺激された市が変な方向に動かないかということも憂慮されるし、そしてこれらの不安をどのように取り除くかという問題が残る。
 どうしたらよいのか今は頭真っ白だが、何らかのアクションは起こさなければと思っている。ほんとに自分の無力さを痛感しつつ、やっぱり具体的に何ができるかを考えたいと思う。独りでもやる。


 
 ちょっと、話はズレるけど、今回改めて思ったこと。「在特会」は、かなり象徴的だと思うが、それに対する私つまるところ日本人の「怒り」というものは、一体何なのかということ。

 何に対する「怒り」で、誰のための「怒り」で、何のための「怒り」で、何を守るための「怒り」なのか。

 私は今まで何に対して「怒って」いたのだろうか。

 もちろん、当事者を代弁できるはずもない。確かに、日本人として恥ずかしいからというのはあるが、私は彼らとは違うってことを証明したいという欲望だったのではないか。真意は、当事者にそれを示すための「怒り」ではなかったのか。

 それは、ほんとに傲慢で、エゴで、マッチョな姿勢だった。先述したように、彼らと私は同類。「日本人として恥ずかしいから」というのも、逆を返せば、ナショナリズム的だしね。

 では、私の「怒り」はどこに向かえばいいのか?その「怒り」は、どうあるべきなのか?「当事者」でない私は、この問題にどう携わるべきなのか?

 明確な応えはないけれども、今までの固定的な主体性や立場性だけでは、不十分だということは確かである。もう一度、問い返す必要があるのではないだろうか*1





追伸:
 最初何もできていないし、警察を誉めるわけでないけど、動画④の途中〜⑥に出てくる警官にちょっと感心。「朝鮮学校に言うてもしゃーないやろ」などと、説得をしている。弁護士が駆けつけたおかげもあって、その説得の間、マイクパフォーマンスが少し鎮静化されている。youtube等では、この警官に対する批判が殺到していて、ちょっと滑稽。今までの「在特会」のデモでは、見られないレアな光景だった。



追加(2009.12.9):
※知人からのメールからの転載です。第一初級の保護者の方の文章です。

皆様

私は朝鮮第一初級学校に二人の子どもを通わせている保護者の金と申します。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが先日4日に名前を言うのも忌まわしいようなレイシスト(人種差別)団体が京都朝鮮第一初級学校のすぐ前で騒乱を起こしました。
http://corea-k.net/date/000.wmv

今まで生きてきてこんな腹立たしく悔しい思いをしたことがありません。
学校の前で子どもたちに聞こえるように“スパイの子どもたち!”“朝鮮学校を日本からたたきだせ!”などと人として信じられない暴言を拡声器の爆音をもって騒ぎ立てました。
子どもたちはおびえて、中には涙を流すこどもたちもいたそうです。

私が悔しい、腹立たしいと思ったのは、何もその団体に感じたことではありません。
朝鮮語のことわざに“糞を避けるのは怖いからで無く汚いからだ”という言葉があります。
私が本当に許せないのはこのような事態が許されている“この社会の規律と良識”に感じています。

当日警察も子どもたちがおびえてるにもかかわらず“自分たちは間に入っている立場”とし制御しようともしない。スピーカを校門のまん前で校舎に向けて騒いでるにもかかわらず禁止させない。
これが言論の自由ですか?法や警察はこどもを守ってくれないというのがむなしくてたまりませんでした。

自由使用の公園なのにも関わらず“不法占拠”とののしり、地域の方々も使っているゴールポストを動かしたり、利用する子どもの安全のために設置されたスピーカーの線を切り、朝礼台と一緒に校門前に投げつける暴挙。
器物破損ではないのですか?強制執行は一般市民に権限があるのですか?
子どもたちがおびえ、泣いているのに脅迫罪ではないのですか?
そこにいる個人や団体を誹謗中傷し侮辱罪ではないのですか?

そこに駆けつけた私たちは声がかれるまで警察に訴えたのに取り合ってくれませんでした。
私は学校に駆けつける前に、某大学で人権教育の招かれ、“人権とこどもの学ぶ権利”を物知り顔で語っていました。
このときほど“人権と子どもの学ぶ権利”が虚しく聞こえたときはありません。

私はこの問題が一部のレイシスト集団の問題ではなく、それを許容する日本社会の“良識”を問いたいです。

たしかにこのような集団は日本人の一部かもしれません。
“日本人は悪い人ばかりではありません。信じてください”とおっしゃりたい方もいるでしょう。
そういう意味では日本の方々も被害者かもしれませんが、今回の問題の本質ではありません。
明確にこのような事態が起こったことは、これが許されたことになると思います。
いまこそ“日本社会の良識”にとうべきだと思っています。

いままで本当に悔しい思いをいっぱいしてきましたが、もうたくさんです。
今後このような事態が起こったとき、また私たち朝鮮人は門扉の前で歯を食いしばり、血の涙をのみながら我慢に我慢を続けないといけないのでしょうか?
正直に今回子どもたちに“守ってやれなくて申し訳ない”との考えが頭を離れず夜も悔しくて眠れませんでした。

無くなった祖父母や一世たちが空の上からこの事態を見ているならば、どんな思いをしてるでしょうか?
自分たちの曾孫までもこんな仕打ちをされているのかと嘆き苦しんでいるでしょう。

長々と書きたて、最後まで読んでいただきありがとうございます。
もうこのような事態が起こらぬよう皆さんどうかこの社会を良識とあるべき姿を考えてください。。。

*1:追記:
一番最初の「在特会」の学校調査報告動画が送られてきた日の夜、いろんな複雑な感情に震えて涙が止まらなかった。第一初級学校は、前の大学の近所だったこともあって、とても思い入れがあったし、よくしてもらったから。さらに、その前に、証言集会に「在特会」から「妨害予告」が出ていたこともあって、私の精神状態は不安定極まりないものだった。「怒り」のあり方と同様に、この「涙」や「悲しみ」も、何なのかということは突き詰めないといけないと思う。ただ、証言集会の「妨害」では、「セカンドレイプ」が起こるかもしれないという恐怖があったから、よく説明できないけど、今回の件も私にとったら重なってしまった。とりあえず、冷静ではおられなかった。